「枕流庵」新築に向けて

現在、後援会を中心に、「枕流庵」新築に向けて準備を進めております。つきましては、枕流庵の歴史をご紹介いたします。

元々の「枕流庵」

 「枕流庵」は、大正の頃岩下家別荘と呼ばれていた建物で、温情舎小学校前の道を挟んで向かい側の黄瀬側沿いにありました。主に来客用として使用され、「枕の下に黄瀬側の水の流れを聞きながら休むことができる」場所であることから、「枕流庵」と命名されました。昭和初期、温情舎(不二聖心女子学院の前身)の二代目校長である鈴木余四郎先生がお住まいになった頃から地図には「枕流庵」と記されるようになっています。その後、聖心温情舎となってからは司祭館としても使用されていました。中家基良氏によると、昭和30年頃の「枕流庵」は、コンクリート作りの半地下の建物で、地下にはお風呂場と物置、2階には食堂、寝室、客室があったそうです。1967年に、学院内を東名高速道路が通ることとなり、「枕流庵」は取り壊されました。その際、「枕流庵」という表札だけは保存されました。この文字は、不二農園の開祖である岩下清周が書いたものという言い伝えもあります。

 
                 (昭和30年ごろの枕流庵 中家基良氏 画)

現在の「枕流庵」

 現在、お茶室として使用されている「枕流庵」は、大正半ばに建てられた岩下家別宅の離れで、山の下にありました。清周の妻、幽香子は、疎開のため東京信濃町の家(現在の真生会館)から裾野に移って来て、最後はこの建物で生涯を閉じました。当時としては珍しい床暖房を備えた京風の建物でした。東名高速道路が通る際に、山の上の現在の場所に移築されました。その際、「枕流庵」という表札がこの建物に掛けられ、以後、お茶室として使用されてきました。

 

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2017.06.20.更新

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