
2009年6月10日放送の宗教朝礼より
これから宗教朝礼を始めます。
テストも終わり、ホッとしているところでしょうか。
テスト中はどうしても、余裕がなくなり自己中心的になりがちです。勉強に集中しすぎて、周りが目に入らなくなったり、睡眠不足でボーとしてしまい他の人にぶつかったりなんてことはなかったでしょうか。ぶつかって「はっ」としてあわてて謝ったりするものです。
ところで、皆さんは「江戸しぐさ」というのを知っていますか。
江戸しぐさというのは、江戸時代の商人(あきんど)の生活哲学・商人道で、しぐさは、漢字で書くと思うに草と書いて「思草」と表記するそうです。
私は小冊子「ニューモラル」で、「江戸しぐさ」という言葉を知りました。
その小冊子によると「最盛期の江戸には100万人以上が住み、当時世界の、どの大都市よりも規模の大きな人口過密都市だった。その人口の半分を占める商人たちが、狭い場所での暮らしをできるだけ心地良いものとするため、また、さまざまな相手と円滑に商売するために築きあげたのが、「江戸しぐさ」と呼ばれる暮らしの知恵でした。」そしてそれを命名したのが、芝 三光(しばみつあきら)という方だそうです。
代表的な江戸しぐさは、すれ違う時、相手に雨のしずくがかからないように傘を人のいないほうに傾ける「傘かしげ」。また、道を歩いていて、人とすれ違う時はちょっと会釈をし、左肩を路肩に引いて寄せ、お互いがぶつからないように歩く「肩引き」というのもありました。これらは、「往来しぐさ」と呼ばれ、往来、道を歩くときのマナーとなっていました。
また、人混みなどで、足を踏まれた際に、足を踏んだ側だけでなく、踏まれた側も不注意を詫びて相手を気遣う「うかつあやまり」。「ごめんなさい。足を踏んじゃって。」「すみません。こちらもうかつでした。」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つことになるのだそうです。
これを、江戸っ子風にいうと、「ごめんよ。足踏んじまって」「あっしこそ よそみしていたんで 」となります。最初に話したぶつかった時も、双方があやまるのが、「うかつあやまり」です。
江戸時代は交通手段として渡し船がさかんでした。そこで、渡し船が混んでいる時など、後から乗ってきた船客のために、みんなが腰を少しずつ浮かせて空席をつくる、「こぶし腰浮かせ」という暮らしの知恵もあったそうです。いずれも、お互いが少し心を配るだけで、双方が心地良くなれるそんなしぐさばかりです。他にもいろいろあるそうです。
この江戸しぐさの伝承活動に取り組む 越川禮子(こしかわれいこ)さんは「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」はその初歩的なもので、江戸しぐさは生活のすべてにあてはまるということです。そして、互いに教え合い、助け合い、いたわり合うのが当然という考えが江戸時代には根底にあったからだといいます。
私たちはここから何を学ぶべきでしょうか。
これらは人への思いやりの心です。それも、一人だけでやってもあまり効果は得られません。お互いがお互いを思いやる気持ちが巡り廻って人も自分も心地良くさせているのです。
知っている人ばかりではなく、知らない人であってもちょっとした気遣い、心遣いでお互いが笑顔になれるということだと思います。
自分を捨ててこそ周りの人に優しくなれる。「自分が」ではなく、「人のために」を第一に考えることが大切です。
そして「ありがとう」という感謝の気持ちを持つことです。いろいろなことをしてくれたことに対してのありがとうの気持ちです。
それと、自分が働けることに喜びを見出せることも感謝の気持ちに通じます。
6月はみこころの月です。
イエズスキリストの「みこころ」です。すべてをあますことなく人のために捧げられた、イエスのみこころにならって大切に過ごしていきたいものですね。
そして、奉仕の日には、ありがとうの気持ちで、奉仕させていただけることに喜びを感じて、感謝してできたら良いと思います。
最後に私が好きな「平和の祈り」で終わりにしたいと思います。
平和の祈り
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみあるところに 愛を、
いさかいあるところに ゆるしを、
分裂あるところに 一致を、
疑惑あるところに 信仰を、
誤りあるところに 真理を、
絶望あるところに 希望を、
闇に光を
悲しみあるところに
よろこびをもたらしてください。
慰められるよりも 慰めることを、
理解されるよりも 理解することを、
愛されるよりも 愛することを、
わたしが求めますように
わたしたちは与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠の命をいただくのですから。
(これは、生徒手帳にも載っています。ゆっくり味わってみてください。)
これで、宗教朝礼を終わりにします。
Y.H.(保健体育科)





