
2009年4月8日放送の宗教朝礼より
お早うございます。挨拶をして静かに着席しましょう。
新学期がいよいよスタートし、中学一年生、高校一入生を迎えて、新しい学校生活が始まりました。中1、高1の皆さんご入学おめでとうございます。そして、春休みを経て、進級した上級生の皆さんは、3月に会ったはずなのに、2週間ちょっとですっかり新しい学年の顔つきになったように感じました。新しい学年の皆さんと会うのは、私自身、緊張感と共に希望と期待でわくわくどきどきしていました。これから始まる一年を、皆さんはどのように過ごそうと考えていますか?
中1の皆さんは、まだ分からないことが多くあると思いますが、これから、上級生の方や先生、シスター方からいろいろなことを教えていただいて不二聖心のいいところを沢山知り、身につけて欲しいと思います。
さて、私たちが暮らす社会には色々な考え方や、価値観を持つ人々がいます。その中で自分はどうあるべきか?私がそれを、身をもって考え感じたのは1ヶ月ほど前、中高時代の友達Aさんに10年ぶりに会った時のことでした。中高時代、Aさんはとても優秀で、面白くて、私の相談によくのってくれる優しい人でした。学年があがるにつれ、話せば話すほどお互い考え方が似ている!と感じるようになったため、よい仲間だと思っていました。実際、交換日記は10冊近くになり、本当によく話しました。しかし彼女は高3の大学受験の時期を境に、変わってしまった、と私は感じるようになりました。本当に自分の勉強したいことができる大学ではなく、世間の評判や大学名ばかりとらわれた彼女の話に、私はだんだん自分をあわせることが出来なくなってしまったのです。それから、10年音信不通だったのですが、1ヶ月前、偶然何人かの友人たちと食事をする機会に恵まれ、そのなかに彼女がいたのでした。10年ぶりの彼女はどうだったのか?たいてい、学生時代の友達に会うと、昔の色々な思い出話で盛り上がり、最後にはやっぱり同じ教育を受けてきた仲間だよねえ、とお互いが感じたところで、おひらきになるのがいつものパターンでした。だから、今回もきっとそうだろう、と私は思っていました。
結果、民間企業に就職し、総合職でバリバリと働くようになっていた彼女は、仲のよかった昔のころの面影はあまりなく、彼女の話しの中心は、何かを我慢したりするよりも、自分のやりたいことをして今を楽しく生きることが一番、自分さえよければいいということでした。それが、いいとか、いけないとかいう以前に、彼女の話し方や雰囲気に昔のような誠実さや優しさが感じられなかったことに、私は寂しく、物足りなさを感じたのでした。むしろ、なにか無理をしているようにさえ感じたのでした。世の中では自分と同じものの感じ方、同じ考え方をする人のほうが少ないと思ったほうがよいかもしれません。違う考えや感じ方があるからこそ、いいこともたくさんあります。しかし、時には間違った考え方や人に対する思いやりのなさによって様々な悲しい事件が起こるのも事実です。価値観が様々な世の中で私たちはどのように生活していけばよいのでしょうか?私が考えるところでは、自分にとって何が本当に大切なことか、何を選んで生きていけばよいのか、それを考え、判断していくための、心の軸があるかどうかということだと思います。自分は今どんな物差しで物事をみつめているか、常に問いかける自分でありたいと思うのです。
昨日の始業式で、山本校長先生が、今年の学校目標である「賢明な女性」についてお話くださいました。
たくさんのポイントがあったと思いますが、その中に、賢明な女性とは、品性や知性を兼ね備えた女性であるとのお話がありました。品性や知性とは、自分のおかれた状況のなかで、ぶれない心のものさしを持ちながら、大事なことをしっかりと見極め、それを自由に選んで行動していく力だと思います。創立者マグダレナ・ソフィア・バラも、フィリピン・デュシェーンもマザー・テレサもみんなそういう力をもって行動なさった方で、本当に素敵だなぁと思います。簡単に身につけられるものでは決してありませんが、不二聖心での様々な体験は、品性や知性を磨けるチャンスが本当の沢山あると思います。世界に目を向けることのできる賢明な女性に一歩でも近づけるように、私も皆さんと一緒に不二聖心での毎日を大事にしていきたいと思いました。
さて、カトリック教会では、今週の日曜日は、復活祭(「イースター」ともいいますが)というとても大切な日を迎えます。人々の苦しみを背負い、十字架にはりつけられて亡くなられたキリストのご復活をお祝いしますが、今週は四旬節最後の一週間(聖週間)にあたります。この時期は復活祭を迎える前に、キリストがお受けになった苦しみや、死を深く思いながら過ごす期間で、「回心」(「回す」「心」と書きますが)と「ゆるし」を促される時期でもあります。少し難しい言葉ですが、「回心」とはギリシャ語で「メタノイア」という言葉で表現され、自分の生き方の方向転換、神のみ旨にかなうよう、生き方の方向を神様に合わせてぐるっと変えることを意味するそうです。
社会では毎日様々な事件や出来事があり、そのなかで私たちは生き方の軸がぶれてしまいがちですが、一年をはじめる時期にも重なっているので、ふと立ち止まって自分はこれから何を大事にして生活していくかしっかり考えたいと思います。
昨年までの古い自分を捨てて、キリストの復活にならい、新しい自分に出会うことが出来ますように。心の軸を自分中心ではなく、神様が私たちに望んでおられることにうつして少しでも生活できますように。
これで宗教朝礼を終わります。
Y.S.(英語科・宗教科)





