
2010年2月10日放送の宗教朝礼より
宗教朝礼を始めます
2月もそろそろ半ばをむかえ、高3には卒業が、高2以下には学年の終わりが目前となってきました。みなさんはこの1年をどのように過ごしましたか?
52万5600分
52万5600の大切な瞬間
52万5600分ある1年を
あなたはどうやって計る?
夜明け、日没、真夜中、あるいはコーヒーを何杯飲んだか、
何かが成長した長さ、動いた距離、笑い、けんか・・・
52万5600分
人生のなかのある一年を、どうやって計ろうか?
愛で計るのは?
愛することを目安にするのはどう?
52万5600分
52万5600の旅の計画
友だちの人生のその1年を覚えていよう
愛は神様からの贈り物だって知っているでしょう
愛を分かち、愛を与え、愛を広めないと
あなたの人生を愛で計らないと Rent -Seasons of Love-
今読んだ詞は、『レント』というミュージカルで歌われた歌の一つです。1990年代後半のニューヨークの下町、家賃も払えないくらいの生活をしている芸術家たちのある1年を描いたこのミュージカルを観たのは昨年の夏でした。夢と希望と、一方でままならない現実に絶望し、凍死やエイズの恐怖と隣り合わせの生活。ちょっとしたはずみで壊れてしまいそうな生活と人間関係のなかで、それでも「愛」が人々を救う、と強く訴えたこの作品に、私はとても衝撃を受けました。
みなさんは自分のこの1年をどうやって計りますか。
ある人は伸びた身長かもしれない。あるいは折れたりしていく教科書やノートかも。またある人は言葉を交わした友だちの数かも知れないし、メールや手紙の数かもしれない。
映画にもなったこのミュージカルのサウンドトラックを聴いて、改めて「自分は何を基準にこの一年を計るだろう」と考えました。授業で使ったプリントの枚数、整理しきれないものが積み上がっていく机の上、車の移動距離・・・見まわせばたくさん「計る基準」となるものは転がっているけれど、限定された「この1年」を計るもの、と考えるとなかなか思いつきませんでした。
「愛は神様からの贈り物」と先程の歌で言っています。そして1年を「愛することを目安に」計るのはどうか、と問いかけています。「愛」で1年を計るというのはどういうことだとみなさんは思いますか?巷にあふれる「恋愛」で計る、というのはちょっと違う気がします。この「神様からの贈り物」である「愛」とは私たちの生活の中にある、どのようなものを指しているのでしょう。
かつてキリスト教が日本に入ってきたとき、宣教師の人々が教えを日本語に訳すのに一番悩んだのが、「愛」という言葉だったといいます。日本語にはキリスト教が教えたい神様からの「愛」を表す言葉がなかったからです。神様からの「愛」は人間の「恋愛」とは違う、無償の愛です。キリスト教の神学で使われるギリシア語やラテン語では「アガペー」や「カリタス」と表現され、人間の「愛」とは分けて表現されています。だけれど、日本語には「恋愛」を表す言葉はあっても神様からの「愛」を表す言葉はない。言葉がないということは、キリスト教の教えたい「愛」は伝わらないかもしれない。宣教師の人々やキリシタンと呼ばれた、キリスト教が日本に伝わったころの日本人の信者の人達はいろいろと考えて、「御大切」という言葉にたどりつきました。自分自身を大切にする気持ちと同じ気持ちをもって周りの人を大切にする。これがキリスト教の教える「愛」であり、先程の歌にある「神様からの贈り物」である「愛」なのではないかと気がつきました。
大切にするためには関心を持つこと。関心を持つには、まず周りの人に気がつかなければなりません。自分の周りにはどんな人がいるのか。その人はどんなことを感じているのか。その人がよりよくあるために、自分はどうしたらいいのか。このような気持ちが「大切にする」ということで、つまり「愛」というこころの動きなのでしょう。ならば、私のこの1年を、愛を基準に1年を計るというのはどういうことなのだろうと、学校からの行き帰りの車の中でエンドレスにこのCDを聴きこの曲になるたびに考えていたのですが、あるときふっと気がついたのが、教室でのみなさんの姿でした。
4月初めはとにかく名前と顔を一致させることが精一杯でした。初めて授業を担当したり、あまり関わりのなかった学年を担当するとき、まず不安になるのはきちんと顔と名前を覚えられるか、ということです。名前を間違えて呼ばれたらいやだろうな、と思い、必死に座席表とみなさんの姿を見比べます。しかし、授業やホームルームで毎日関わっていくうちに、少しずつみなさん一人一人の姿が見えてくるようになるのです。好きなこと、苦手なこと、それぞれの気持ちの表現のくせや、言葉や行動からかいま見える性格。それらはみなさんの全てを示しているわけではもちろんなく、そして必ずしも私にとって心地よいものばかりではないけれど、みなさんから発せられるメッセージをできる限り受け取り、そして自分なりに咀嚼して返すこと。そして私からもメッセージを発し、返されるそれを受け取ること。このようなやりとりの毎日によって、最初はぼんやりとした輪郭しかなかったみなさん一人一人の姿がはっきりとしてくるのです。成長期まっただ中のみなさんの姿は、本当に1年1年違います。そして教室の顔ぶれも1年1年違いますね。そう考えると、私の「この1年」を計るのは、そのときそのときに関わって見えてきたみなさんの姿かなあと思うのです。
みなさんにも同じような経験はないでしょうか。中1のみなさんは、4月、初めて出会う人ばかりだったと思います。教室での同級生、クラブや委員会の上級生、寄宿生の人はテーブルや寝室で一緒になった上級生。もちろん先生方も含め、最初はとにかく名前と顔を一致させるのに精一杯だったでしょう。今はどうでしょうか。家族やお友達と一緒にやった楽しいこと、たくさんのおしゃべり、笑ったこと。ささいなけんか、深刻な相談、どうしても修復できそうにないと思える対立や亀裂。そういったことを通して、最初は見た目しかわからなかったお友達のいろいろな姿が見えてきていると思います。周りの人の思わぬ一面に驚いたり、傷ついたり、見直したり・・・生活を一緒にして関わりをもっていくことで見えてくる姿が変わってきた、ということはありませんか。中2以上のみなさんもそれぞれにそういうことがあるでしょう。いつも一緒にいるし、もう知らないことなんてない、と思っていたのに実はそうじゃなかった、ということもたくさんあったと思います。寄宿生の人は家族と離れて生活することで、今まで意識してみることのなかった自分の家族の姿に改めて気がついたりもしているでしょう。
そういう「大切なまわりの人との関わり」で自分の1年を計る。それがどれだけ大切で、すてきなことなのかを、この歌は教えてくれました。
高3のみなさんは、来週の土曜日にはもう卒業式ですね。永遠に続くのでは、と思っていたかもしれない不二聖心での生活もあとわずかです。卒業して、それぞれの進路を進んでいく中で、おそらく、今まで以上に1年は早く過ぎていくでしょう。新しい環境に慣れるのに必死で、周りが見えなくなってしまうこともあるかもしれません。でも、不二で生活したみなさんは、これまでの学校生活の中で、まわりの人と関わることの大切さを学んでいるはずです。そして自分は自分一人で生きているのではなく、必ずまわりに支えられていて、そしてまた、自分も必ず誰かを支えていることを、無意識のなかで知っています。自分のことだけで精一杯になってしまって、もう自分なんて・・・なんて思ってしまったときには、まわりの大切な人、あるいは不二でのお友達とのどこか1年間の関わりを思い出してください。
52万5600分ある1年を
あなたはどうやって計る?
52万5600分
人生のなかのある一年を、どうやって計ろうか?
愛することを目安にするのはどう?
H.N.(社会科)






