
2010年4月28日放送の宗教朝礼より
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
今日は、「居場所」についてお話ししたいと思います。皆さんにとって、「ここが私の居場所だ」と感じられるのはどのような場所でしょうか。また、どのような時でしょうか。
私は、父の転勤に伴い、引越を何度か経験しており、いわゆる「幼馴染」と呼べる存在はいません。また、いつも、新しく来た者、または、よそ者として新しい場所で新しい生活を始めました。そのため、周囲の集団に根付いている感覚、つながっているという感覚が弱く、特に静岡県に越してきた時は、友達のおじいちゃん、おばあちゃん、もしくはそれ以前の代からずっとその地域に住んでいたという人が圧倒的に多く、静岡のなまりで話さない私は、完全なる「よそ者」でした。小学生の中でさえその意識は強く、私は「居場所」というものをいつでも探していました。小学生の時に裾野人になった私は友とのかかわりの中で静岡のなまり、方言のネイティブのようになりました。両親が全く規則を見出せない、語尾に付ける「ら」「だら」の区別を、誰に教わるわけでもなく日々の友の会話を聞きながらいつしか自分も知らずに使っていました。そのようにして徐々に居場所を得て行きました。小学生の時は、同じように言葉を使う、そのような小さな共通点で居場所を得られました。
数年後、不二聖心に入学し、新たな居場所づくりが始まります。「同じ塾出身」という居場所はあっという間に解散し、それぞれが自分の興味、趣味で新たなグループを見つけて行きます。また、私の学年は、在学中のお姉さんを持つ妹グループが大変力を持っていて、長女の私にとってはまたしても居場所を感じられない日々が続きました。友達が特に多い人たちが、輝いて見えました。たくさんの笑顔に囲まれている姿は、眩しすぎるくらいでした。そこで、当時の私はこう考えたのです、「友達を作るには自分に大きな魅力がなければならない!」
とはいえ、二重のぱっちりとした目を輝かせて話すA子ちゃんのようにはなれないし、運動場を格好良く走るBさんのようにもなれない…生まれつきのものは残念ながら何もないと思いました。かといって、すでに大勢力になっていた、漫画やタレントグループにも興味はありませんでした。それでもどうしても居場所がほしくて、努力で何とかなる分野を探すことにしました。実は、その助けとなってくれたのが勉強でした。が、それでも、心休まる場所が得られたわけではありませんでした。この頃は、自分を好いてくれる人がいるところが居場所だと思っていました。だからこそ、好きになってもらうための魅力がなければと一生懸命になったのです。しかし、その後も、人の中にあってもいつも孤独感でいっぱいでした。自分に特に魅力を見いだせなかった私は、居場所を得るための第一条件、相手から好きになってもらう何かを持っていない自分に、自信を持てなかったからです。
そしてまた数年後… 昨年私はようやく、居場所を見つけたのです。そして、その、居場所とは、かつて考えていたものとは異なるものでした。その居場所とは、自分が、この人好きだな、とか、この人のために役に立てたらいいなと思える存在がいるところでした。自分を好いてくれる人がいるところが居場所だと思っていた時は、私の心はいつも不安定でした。相手がどう思ってくれるかで自分の居場所かどうかが確定するからです。しかし、ここ不二聖心で勤めるようになり、たくさんの大好きな人たちと出会えて、役に立てるといいなと願うようになってから、私は何か、根のようなものがはって、安定したような気がしました。今、私はとても幸せです。
人と人とのかかわりの中に居場所は生まれます。皆さんはどういう関わりの中に自分の居場所をみつけるでしょうか?そろそろ新しい環境にも慣れてくる頃でしょう。もちろん、あなたの周りにあなたのことを好きだなと思ってくれる人がいたら、素晴らしいことですが、あなたが、「この人、好きだな」と思える人がいたなら、もっと幸せなことだと思います。大好きな皆さんへ、私に居場所をくれてありがとう。
これで宗教朝礼を終わります。
M.S.(英語科)






