
2010年5月19日の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
今日は私がもらって嬉しかった手紙の話をします。
もらって嬉しかった手紙、ひとつめは卒業生からの手紙です。
三年前、私は長女を出産するために一年間お休みをいただきました。長いお休みの後、また学校に復帰するにあたって、私は緊張と不安でいっぱいでした。一年間のブランクは長いです。果たして、仕事に戻って以前のように働けるか、授業をすることができるのか、本当にどきどきしながらまた学校に戻ってきました。それから一ヵ月経った頃、私はある卒業生から手紙をもらいました。その卒業生は二年ほど前に卒業していたのですが、その妹はまだこの不二聖心に在学していて、その妹を通して私の復帰を知ったそうです。その手紙にはこう書かれていました。「先生おかえりなさい。先生がまた不二に帰ってきてくれたことを心から嬉しく思います。私たち卒業生が不二を訪ねると先生方は私たちにおかえりと言ってくれるので、今度は私から先生におかえりなさいを言います。これからもまた不二で頑張って下さい。」この手紙をもらって、どんなに嬉しかったことか、私は思わず、涙を流しました。その手紙につづられている温かい言葉に、それまでの緊張も不安も吹き飛びました。どこでそのようなやさしい思いやりを身につけるのでしょう、卒業してもなお、このようなあたたかい心遣いができる不二の生徒を私は心から尊敬しています。
もらって嬉しかった手紙、今度は学校の話とは離れますが、二つめの手紙の話です。これは私が直接もらった手紙ではなく、他の人の手を伝って私の手に届けられた手紙です。
2年前の6月、私は祖父を亡くしました。お葬式もすんで、3か月ほど経った頃、祖母から、「これはおじいさんの机の引き出しに入っていたものだけど」と一通の手紙を受け取りました。それはだいぶ古びていて、封筒も端の方がボロボロでした。あまりの古さに困惑したのですが、中をあけて、私はその差出人と中身にさらに驚きました。差出人は福井県の教会幼稚園。私は幼稚園のとき、父の仕事の転勤で福井県にいました。それはなんと、三十年以上も前に私が通っていた幼稚園から、三十年以上も前に祖父宛に送られていた手紙だったのです。「お孫さんは毎日元気に通園しています。どうかお祖父さまも安心なさって、お身体を大切にお過ごしください。」という手紙に、幼稚園の制服を着て友達と並んでいる私の写真が添えられていました。私は言いようのない感謝の気持ちを覚えました。三十年間ずっとその手紙と写真を大切に持っていてくれた祖父に。小さい頃は、私は祖父にとって初めての孫ということでとてもかわいがられていました。しかし成長してからは、内孫の男の子ばかりが大切にされている気がして、それからはあまりかかわりを持っていなかったのです。けれど、祖父は私のこともちゃんと大切に思っていてくれたのだということを改めて強く感じました。そして、そのような手紙を福井県からわざわざ静岡まで送ってくれた幼稚園にも心から感謝の気持ちでいっぱいです。その手紙は時を経て、祖父と私をまた結びつけてくれました。それは思いがけず、やさしい思いやりが届いた経験でした。
先週の月曜日に母の日の昼礼があり、そこで生徒の皆さんからカードとクッキーをいただきました。カードはとてもきれいに、丁寧に飾られており、中に書かれている言葉も先生一人ひとりにむけた、心のこもったものです。読むと思わず笑みがこぼれます。はじめてこの学校に来たとき、母の日にカードをもらって、本当に驚き、嬉しく思いました。母の日のこのような慣習は、この学校ならではの温かい心だと思います。
その他にも、みなさんが学校生活の中で手紙のやりとりをしているのを見かけます。エンジェルさんからチャイへ。チャイからエンジェルさんへ。上級生と下級生とで文通をしていて、下級生がどきどきしながら手紙を渡しにいったり、お返事をいただいた、なかなか来ないなどと一喜一憂している姿はとてもほほえましいと思います。皆さんの現在の生活の中では、携帯電話やパソコンでのメールのやりとりも多いでしょう。でも、こうやって手書きの手紙やカードもいいものです。そこにはきっと、暖かみのある、お互いを思いやる気持ちが存在すると思います。「思いやり」という言葉は、元々は、相手のところに思いをやる、相手が今、どうしているのだろう、何を感じているのだろう、と思いをはせるところからきているそうです。手紙というものはまさに、相手のところに思いをはせながら想像力をもって書くものではないでしょうか。そして、お互いにやりとりすれば、相手の気持ちをお互いに想像しながら思いやるということになります。手紙を通じて、思いやりはきっとつながっていくのだと思います。
これで宗教朝礼を終わります。
M.S.(国語科)






