
2010年6月2日放送の宗教朝礼より
おはようございます。挨拶をして静かに着席してください。
先日の日曜日、たまたまテレビを見ていた時、NHKの1つの番組が私の目に飛び込んできました。その番組はちょうど5年ほど前同じようにNHKで放映されていたのを見て、私自身が深く感動したドキュメンタリー番組の再放送でした。
「脳梗塞からの再生~免疫学者 多田富雄の闘い~」という番組です。見た方はいらっしゃいますか?
多田富雄さんは国際的な免疫学者で、詩やエッセイも多く書かれ、また日本の伝統芸能であるお能にも造詣が深く、お能の製作者としても知られ、東京大学名誉教授としてご活躍なさった方でした。大変素晴らしい経歴をお持ちで、沢山の才能をお持ちの方だったことが分かります。
2001年、多田さんは、脳梗塞という病気に倒れ、一夜にして右半身不随となり、声と自分で物を食べる自由を失いました。わずかに左手が動くだけで、自分で自由に歩くことも、しゃべることも、食べることもできなくなってしまったのです。
皆さんは、脳梗塞という病気をご存知ですか? 脳の血管がつまり、血液が流れなくなり、顔面や舌、手足などが麻痺し、体の自由が奪われ、発見が遅ければ、死にも至ります。
多田さんは、免疫学者として世界の第一線で活躍し、華やかな学者人生を送っていましたが、それが一転し、他人の介護なしでは、日常生活も送れない日々になり一時は自殺までも考えたそうです。皆さんも想像してみてください。それまで当たり前に何でもできていたことが、何一つ自分の力でできなくなってしまうのです。しゃべれなければ、自分の気持ちを伝えることもできません。手も自由に動かないため、書いて伝えることもできません。顔の筋肉の一部が麻痺していることで、嬉しい、悲しい、辛いことを顔の表情でうまく相手に伝えることもできません。 咽喉の筋肉の障害で、好きなものを自由に飲み込むこともできません。 ましてや、大学教授として、多くの学生や若い研究者たちを教える立場にあった多田さんにとって、言葉を失ってしまったことはどれほど大きな苦しみであったか・・・。私自身、毎日学校で、授業をするために声をだしていますが、その声が出なくなったら、言葉が話せなくなったら・・・と想像すると、一体何のために学校に来ているのか、その意味を見出せなくなり、落ち込むと思います。
しかし、多田さんは諦めませんでした。脳梗塞で倒れてからしばらくして、足先にわずかな感覚があることに気付き、そこから、リハビリを始めました。杖をつきながら、一歩ずつ歩く練習、うまくしゃべれなくても、声を出す練習などです。自由に歩けなくても車椅子でどこへでも出かけていきます。思うように体の筋肉が動かなくても、わずかに動く左手で、それまで触ったことのなかったパソコンを覚え、キーボードを左手で1つひとつ打ち、病気と向き合いながら多くの本を出版しました。しゃべれなくても文字盤を押すと電子音の出る機械を通して、大学で教えていた弟子たちと話し、また回りの人とも会話する様子が流れていました。人生のどん底を経験しながらも、科学者としての目線で、自分の病気を見つめ、受け入れ、そこから、なお、自分の中に残された可能性を信じて、黙々とリハビリに励み、歩み続ける多田さんの姿に深く感動しました。多くのお弟子さんたちが、最近の研究の成果を報告するために多田さんの家を訪れているのです。また、科学者として、核問題への危機感を表現するために、原爆をテーマにしたお能の製作にもあたり、2005年にはそれが上演されました。脳梗塞という病気と闘いながら、麻痺した自分の体がわずかながらでも、よい方向へと変わっていく可能性と希望を信じて、少しずつ何かを生み出しいく、創り出していく多田さんの姿は心から尊敬に値するものでした。そして人間の持つ可能性は、人間の想像をはるかに超えたものなのだということを感じました。
NHKの取材スタッフが「(このような不自由な状態になって、)悔しくありませんか?」と尋ねたことに対し、多田さんは音声の出る機械を通して「はい、(悔しいです)」と答えます。そしてその後に「しかし、今のほうが、よく生きています。」と言葉を続けていました。この「今のほうが、よく生きています。」という言葉は、病気と闘いながら、一日一日を、自分の体が回復していく可能性、希望を信じながら歩み続ける多田さんの姿そのもので、説得力をもって私の心に深く刻まれました。
先週金曜日の聖マグダレナ・ソフィアの祝日のミサで、梅村司教様が「人間が生きていくうえで、大きな力となるものは希望を持つこと、」というお話をしてくださいました。第2次世界大戦中、アウシュビッツの強制収容所の中で、最後まで生き残った人たちは、生きる希望を失わなかった人たちだった、というお話は印象深く私の心にのこりました。それほどまでに私たち人間にとって、希望や可能性を信じる心は生きていく上で大切なことなのだということに気付くことができました。
さて、いよいよ明日から高校生の皆さんは試験が始まります。中学生の皆さんも金曜日から試験が始まります。試験勉強をしながら、自分はどうしてこんなにできないんだろう、理解が遅いのだろう、やってもやってもだめなんだろう?と落ち込むことはありませんか?自分はいくらやってもだめだ!と諦めてしまう気持ち、自分で自分の限界を決めてしまうことが、自分自身を苦しめていることはないでしょうか?
私たちに与えられた可能性、神様が私たちに与えてくださった可能性は、もうこれで限界!と私たちが決めてしまう範囲を超えた、もっともっと大きなものなのではないかと思うのです。自分がうまくいかない時、自分にとって都合のよくないことが起きたとき、私たちは、それを人のせいにしてしまったり、「何で、私ばっかり・・・」と自分を中心に考えてしまいがちです。しかし、そんな時にちょっと視点を変えてみると・・・つまり、それは私自身の中では、神様を中心に考えてみたらどうなるだろう?と想像してみることなのですが、そう考えてみると、私たちは神様が与えてくださった大きな可能性、希望の中に生かさせている存在で、うまくいかない時は自分が変わっていくチャンスをいただいていると受け止めることができる気がしました。神様は忍耐強く私たち一人ひとりに向き合って、私たちが一歩ずつ成長していくのを待っていてくださる存在なのだと思います。辛さの真っ直中にいる時にはそれに気付けなくても、少し時間がたってから振り返った時にそのように受け止められればいいなあ、と思うのです。皆さんには、是非、うまくいかない時ほど、その先にある希望を信じて、自分なりのペースで一歩ずつ忍耐強く歩んでほしいと願っています。
先ほど、お話した多田富雄さんの番組からも、どんな状況におかれても、自分自身の変わっていける可能性を信じることが、どれほどその人に生きるうえで大きな力を与えるか、ということに気付かされました。それと同時に、何かキリスト教に通じるものを感じたのでした。
最後に、多田富雄さんは、4月21日、前立腺がんのため76歳で亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。
これで宗教朝礼を終わります。
Y.S(英語科)
参考資料:www.nhk.or.jp/special/onair/051204.htlm






