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宗教朝礼

2010年6月23日放送の宗教朝礼から

おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

今週の日曜日は父の日でした。みなさんはお家の方に日ごろの感謝の気持ちを表すことができたでしょうか?

月曜日の全校昼礼で、男性の先生方に皆さんが手作りのカードとクッキーを差し上げ、それを受け取った先生方が大事そうに抱え、嬉しそうな表情をなさっているのを見て、見ている私も嬉しくなりました。

私は、と言うと、今年は妹と電話で何度も相談して、父の日と母の日を一緒にしよう、と母の日にペアのビールグラスを贈りました。妹が選んで渡してくれたのですが、その後すぐ両親からお礼の電話が来ました。「こんな素敵なものいただいていいの?ありがとう。わざわざ気を遣わなくて良かったのに。」と言っていました。その後も「グラス使ってる?」と聞くと「大事だからサイドボードにしまってあって、まだ使ってない」とのことでした。そんなに大事にしてもらえてる、喜んでもらえた、ということは私にはとても嬉しくて、贈って良かった、という気持ちになりました。

両親はいつも私が何か贈り物をしようとする時、一緒に選びに行くと必ず安い品物を選びます。

私だってもう働いているんだから、と思い、「これが素敵じゃない?これもいいね」と他のもう少し高価な物を贈ろうとしても「これがいいの」と言って、安い品物を嬉しそうに受け取ります。そして必ず「そういう気持ちが嬉しいの。気持ちだけで十分だよ。」と言ってくれるのです。

 

 この春私の家では大きな出来事が2つありました。一つは父の病気と手術、もう一つは姉の出産です。父の病気が1月に見つかり、3月に手術をしました。手術自体は成功したのですが、術後の経過があまり良くなく、入院は長引き、私が実家に戻る春休みにはもう退院している予定が、ずっと4月の初めまで入院が続きました。姉は4月の下旬に出産予定が3月に体調が悪くなり、3月に緊急出産することになりました。最初、父が入院している病院と姉が入院していた病院は全く違う家から反対に向かったところに2つの病院はあったのですが、姉の緊急出産で、偶然にも姉は2、3時間離れた父の入院している病院に救急車で運ばれ、そこで出産しました。とても時間がかかり、薬を使ってのお産だったため、とても苦しそうな姉の姿を見て、こんなに人が一人生まれてくることは大変なんだ、とその時初めて知りました。入院中の父は絶食中で栄養は点滴からのみ、という状態なのですが、点滴の機械をガラガラと引きながらいつも姉のお見舞いに7階の病室から4階の病室までやって来るのです。その姿を見ると、「親はいつまで経っても親なんだなぁ。自分が弱っててもまず子どものことなんだなぁ」と改めて感じました。予定より早く生まれたので男の子は未熟児で、保育器に入ったり、黄色い黄疸が出て、治療を受けたりと様々なことがありましたが、ゴールデンウィークに帰った時には、とても元気良く手足をバタバタさせ、泣いていました。甥っ子の誕生は私にはなんとも不思議なものでした。私は親ではないけれども、血の繋がった弱い存在の甥っ子は、私にとってなんともかわいらしく、何をしてもかまってあげられる、ずっと見ていても飽きず、自分にもこんな部分があったのか、と新鮮な気づきをたくさんくれました。でももっとすごいな、と思うのは姉の姿で、3時間おきにミルクをあげる、泣いたらおむつを見て、おむつじゃなかったら抱き上げてあやす、と1日中赤ちゃんのお世話に明け暮れています。自分の時間などほぼない状態です。私がしみじみ「赤ちゃんのお世話、て大変だねぇ。親になるってすごいことだねぇ」と言うと、母は「親はみんなそうよ。親だからできるのよ」と言っていました。

 

 数年前、私はあるシスターからこんな言葉を聞きました。「イエスのみこころ、イエスの愛は、親の愛によく似ています。親は私たちを育てるために、見返りを求めない精一杯の愛情を注ぎ、常に私たちのことを考えてくれているのです。」私はこの時、みこころ、愛、という意味を初めて理解できた気がしていました。でも、今回のことでようやく私にはこのシスターの言葉のみこころ、愛、というものの意味がストンと胸に落ちて来ました。身近で感じたことで、初めて本当の理解ができました。

 

 私はまだ人の親ではありません。まだ無条件に人を愛することが難しいことが多くあります。でも自分が何かをした時に相手から受け取る笑顔、感謝の気持ちに触れた時、実体のある利益のあるものより、もっと大きいものを返された気がします。これは比べるとほんのちっぽけかもしれないけど、親が子どもの成長を見て嬉しいと思う気持ちと少し似ているような気がするのです。

 自分が何か一生懸命できることをするだけで相手が喜んでくれる、これは何より嬉しいことだと思います。

 

 明日はみこころの祝日です。自分がいつもより少し力を出して、できることを一生懸命することで、たくさんの方が喜んでくださるのなら、それはとてもやりがいのあることだと思います。自分にできることを精一杯行って誰かの役に立てる、一人一人の心がけが大きな力となって、明日みんなが清清しい、嬉しい気持ちになれることを願っています。

 これで宗教朝礼を終わります。

E.Y.(音楽科)

 

 
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