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宗教朝礼

2012年2月1日放送の宗教朝礼より

おはようございます。宗教朝礼を始めます。 

 今、タワーベルの音を聞きながら、みなさんは、何をお祈りしましたか? 

今日のスピーチコンテストで力が発揮できるようにとお祈りした人。昨日気まずくなったお友達と仲直りできるようにと祈った人。今なお不自由な生活を強いられている被災地の方々に思いを寄せた人。ただぼ~っと過ごしてしまった人。たった30秒足らずの時間ですが、今不二聖心の構内にいる人の数だけの祈りがあったことと思います。

 朝礼、終礼はもちろん、私たちは、毎日お祈りをする機会がたくさんありますが、みなさんにとって、お祈りとはどのような時間ですか?心静かに自分を見つめる時間ですか?神様にお願いごとをする時間でしょうか?「お祈り」と「お願い」の関係について私なりに考えることがあったので、お話してみたいと思います。 

先日、御殿場の「時のすみか」の中にある「ありがた山」という山を散歩した時のことです。

機会がある人は訪ねてみて欲しいのですが、「ありがた山」は歩いて数分の散歩道のようになっている山で、希望する人は、お地蔵様を寄進することができるので、道の両脇には無数のお地蔵様が座っていらっしゃいます。そして、「ありがた山」の入り口の看板にはこう書いてあります。「好きなお地蔵さんを見つけて自分だけの地蔵さんと対話してください。お願いごとがあれば祈願してください。あなたの願いがかなえられましたらもう一度来山されて自分地蔵をほめてあげてください。願いがかなわなかったときは、自分の努力が足りなかったので「ごめんなさい」を言いにきてください。」

 私は、ほんの散歩気分で訪れていたのですが、この看板を読んで、はっとしました。

 お参りとか、お祈りというのは、お願いして終わりではなくて、その願いの強さに対応するだけの自分の努力があって実現するものだということに改めて気付いたのです。 

私は毎年フルマラソンを走ることにしているのですが、ある年、フルマラソンに出場する準備として、走る練習をする代わりに、「健脚守り」というお守りを頂けるお寺へわざわざ足を運んで、お守りを頂き、レース当日、「健脚守り」を身につけて走ったことがあります。もちろん、タイムはまったく平凡なものでした。そもそも、そのお守りのおかげで飛躍的にタイムが向上するとも期待はしていませんでしたが、この行動の裏には、お守りさえ頂いてお参りしておけば、レース当日、私の身に、奇跡的な何かいいことが起きるかもしれないう私の安直な考えが透けて見えます。

当たり前のことですが、お守りを身につけていても、走る練習をしなければ、タイムが向上するわけがありません。みなさんのなかにも、学業守りを持っているから勉強しなくても成績が上がると思っている人はいませんよね?

「私は、できる限りの努力をし、健康にも気をつけます。だから、アンラッキーな事故でケガをしたり、マラソンの日が雨になって走りにくかったりすることがないように、私の力ではどうにもできない偶然の部分を、幸運と思える条件に整えてください。」というのが、神様へお願いするべきことで、お守りは、「私はマラソンに対して真摯に努力します」という意志を形で表すための物なのです。学業守りにしても、「私は勉学に対して真面目に努力しますから、努力したものが実力となって身につきますように」という思いを確認する形であって、お守りさえ持っていれば大丈夫とか、お願いしてあるから、願いがかなうはずというのはちょっと安易すぎるように思えます。 

私たちが、目標を達成したいとか、願いごとをかなえたいとかいった変化を望むとき、それを達成できるかどうかは、私たち自身の実践や努力と、私たちの力ではどうにもできない偶然や運の相互作用で決まると思います。

そして、目標を達成するとか、願いをかなえるために努力が必要ならば、あれもこれもと力を注ぐわけにはいきませんから、本当に望んでいることが何なのかという、自分が本当に力を注いで努力すべきこと、求めていることが何なのかを見極める必要があると思います。 

 沈黙で心を落ち着けて祈るという時間は、まさに、自分が本当に何を望み、求めているのかを見極めることのできる時間です。

 一人でじっと心を落ち着けてみると、自分が望んでいること、求めていることが次々に浮かんできませんか?そして、ひとつずつ、本当にそれが、自分がもっとも望んでいることなのかを吟味してみてください。心静かに、自分に問いかけ続けると、望みがひとつ消え、またひとつ消えて、最後に本当に望んでいる自分の思いが残るはずです。

 その、最後に心に残った思いこそが、自分ができる限りの努力をして達成しようと誓うべきものであり、精一杯努力をした以外の偶然の部分に力を働かせてくださいと神様へお願いすることこそがお祈りではないのかと思います。 

 そして、私たちはせっかくキリスト教の学校である聖心女子学院に学んでいるのですから、この最も望むかけがえのない思い、究極的に努力しようと心に決める事柄は、自分たちの目先の生活や欲に支配された上辺だけのものにならず、隣にいる友人、周囲の人々、世界の人々へ思いを寄せるものであるといいなぁと思います。 

 タワーベルの鳴る時間は一日30秒足らずの短いものですが、6年間積み重ねると、約6時間の時間になります。一日の始まるひと時を、ぼ~っと過ごしてしまわず、私たちひとりひとりが、自分が大切にしたいかけがえのない思いに気づいたり、それに対して、精一杯努力できるよう決意新たにしたりする時間にすることができるといいですね。

自分のことを願うだけにとどまらず、周囲の人々、世界の人々へと思いを寄せる朝の数十秒の積み重ねが、やがて世界の平和へ貢献することが期待される皆さんの心と行動力の礎をつくっていくと私は信じています。 

 これで宗教朝礼を終わります。

H.G.(寄宿舎)

 

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