シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.10.26

2016年10月26日放送の宗教朝礼から

  宗教朝礼を始めます。

秋のつどいまであと一週間となりました。慌ただしい日々を送っていることと思います。
 発表の準備や提出物など多くのことに追われ、つい自分のことで精いっぱいで他人を気遣う余裕がなくなりがちです。このような時にこそ、心を落ち着けて周囲に気を配れるようにしていたいものです。
 私ごとですが、家でポメラニアンという犬を飼っています。この犬種は通常体重2キロくらいの小型犬なのですが、うちのは約6キロ近くあり、見た目は中型犬で柴犬と間違われることがあります。
 長男が小学校に入学した時に、犬を飼うことになり最初はいくつかのペットショップを見て回ったのですが、値段を見て気づいたことがありました。生まれて2ヶ月くらいの子犬は平均30万から40万円位、最も高いと70万円位で高いなあと思いました。次に気づいたのは同じ犬種でも生後3,4ヶ月だと20万円、半年を過ぎると10万円代まで値段が下がり、それ以上の月齢の犬は一匹もいませんでした。
 ここで考えたくないのですが、半年経っても売れ残った犬はどうなっているのだろうという疑問が沸きました。子犬を商品として考えた場合、商品価値は中古車のように時間と共にどんどん値段が下がり商品価値が落ちていきます。ただ、中古車の場合はある程度の値段になると下げ止まりになりますが、犬の場合そのままお店に置いておくと、新しい子犬が入いるゲージが足りなくなり、またえさ代やシーツ代、ワクチン代等飼うための維持費がかかってきます。成犬になってしまうと数万円でしか売れないため、ビジネスとしては成立しなくなります。となると売れ残った犬のその後の運命は予想がつきます。ただあまりそのことを考えと犬が飼えなくなってしまうので、その時は深く考えないようにしました。ただささやかな抵抗として、ペットショップではなく、良心的なブリーダーを探して買うことにしました。インターネットで調べて、もし途中で飼えなくなっても引き取ってくれたり、成犬になって値がつかない犬は無料にして里親探しをして譲ったりしている良心的なブリーダーを探しました。値段もペットショップほど高額ではなく本当に犬が好きでブリーダーしているところを見つけ、そこで買うことにしました。
 実際に育てられている環境を見て大切にされているので安心しましたが、生まれて数か月で家族と引き離されて、連れてきたときは怯えていたので少し心が痛みました。その犬もすっかり家に慣れて、今では一番大きな態度でのんびりと暮らしています。
 さて先月、テレビで、ペットショップで売れ残った犬について扱う番組をやっていました。そこでショックを受ける内容が放映されていました。今までペットショップで売れ残った犬は保健所に連れていかれて殺処分されることが多かったそうですが、最近法律で保健所はそのような犬を引き取らなくても良いことになり、その結果そのような犬を数万円で引き取る業者が出てきたそうです。
 テレビのスタッフが取材で、その業者を取材で調べたところ、引き取られた犬達は、日の当たらない倉庫のような暗い部屋の狭いゲージで最低限の餌と水を与えられ物のように扱われていました。病気になっても放っておかれ、片目が見えない犬や片足が腐ったまま放置されている犬もいました。ただ死ぬのを待っているような状況でした。そのことが解って、その犬を引き取り面倒を見る団体もいるようですが、ペットショップ側ではそのような業者は必要悪で、なくなっては困るという本音を語っていました。
 この番組を見てとても悲しい気持ちになったのですが、ペット業界に限らず世の中にはこのような光と影、表と裏で成り立っていることは沢山あるように思います。
 
例えば最近、北陸新幹線や北海道新幹線などの開業が相次ぎ、華やかな話題で賑わっていますが、その陰で地元のJRの路線は私鉄に経営が移され、本数が半分になり運賃は2倍になり地元で車を
持たないお年寄りや学生はとても不便になって困っているそうです。また数年赤字が続けば廃線になる可能性もあり地方の衰退化がさらに進行します。
 また大企業が高収益をあげ儲かっている陰には、コスト削減を強いられ苦しんでいる下請けがあったり、24時間営業の店が増え便利になっていますが、その反面安い賃金で夜中に働いている人が多くいます。
 都会で莫大な電気を使うために原子力発電が作られた結果、福島ではあのような大参事があり多くの人が大きな被害を受けました。経済を最優先すればするほど、人に優しくない社会になっていく気がします。
 自分が快適であったり、便利であったり、また幸せであるのが当然と考えるのではなく、その裏側につらい思いをしたり、苦しんでいる人がいるということを忘れてはいけないと思います。
 イエス・キリストは自己を犠牲にしてでも他人のために尽くす、自分ひとりだけ幸せになってはいけないということを教えています。不二聖心で学ぶ皆さんはこのことを良く理解していると思います。
 これから秋のつどいに向けてますます忙しくなると思いますが、このような話を思い出しながら他人を思いやって過ごしていって欲しいと思います。  
これで宗教朝礼を終わります。
J.K.(数学科・情報科)