シスター・先生から(宗教朝礼)

2017.06.21

2017年6月21日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

ある貧しい夫婦JimとDellaがお互いのためにクリスマスプレゼントを贈りあう「賢者の贈り物」のお話、中3以上の皆さんの中には英語の教科書で読んだ記憶がある人も多いことでしょう。Jimは自分の宝物である時計を売ってDellaに美しいくしを贈り物として準備し、Dellaは自分の大切な長い髪を売り、Jimの時計を飾るためのチェーンを準備します。しかし、お互いにそれらをプレゼントしたときには、もはや2人には、くしをさせる長い髪も、チェーンをつけられる時計もなく、一見、無意味な贈り物のようになってしまったのですが、そこから見えてくる本当に大切なものとは…ということに改めて気づかされる素敵なお話です。
私が子どものときによく読んだ「若草物語」というお話では、次女のJoが、父親の病気の治療費の助けになればと、自慢の髪を売った場面がありました。また、以前、日本でファッションのために売られているウィッグが作られる背景に焦点をあてたドキュメンタリーで、中国の貧しい農村の女の子が、自転車に乗ってやってきた男性に、生活のために…と言って泣きながら大切な髪を短くカットされるというたいへん胸のいたむ番組をみたことも思い出します。
いろいろな機会を通して、長い髪の毛は価値あるものとして必要とされることがあるのだということを知っていましたが、特にこの1年、「売るための髪」ではなく「寄付するための髪」としてのお話やニュースを聞くことが多いように感じています。弁論大会では自分の髪を寄付した生徒たちが発表をする姿を見ました。去年、私のクラスにも、髪を寄付した生徒がいました。みなさんの中にもHair Donationにかかわっている人がもっといるかもしれません。ニュースでは、有名人が髪を寄付したり、小学生の男の子が「女の子みたいだ」とからかわれても、強い意志を持って髪を伸ばし続けて寄付をしたという話も記憶に新しいです。
私自身は、今から十数年ほど前、ニュースで新米看護師さんたちが髪を伸ばして寄付したというニュースに触れたことがきっかけで、髪を寄付することを始めました。私はそこで初めて、「売るための髪」ではなく、「寄付するための髪」という動きが世の中に広まってきていることを認識したのでした。私の髪も長くなってきていたので、使ってもらえる長さがあるかを調べるために情報をいろいろ探してみました。しかし、その当時、寄付先をいくら調べても、髪はカラーリングをされたものはいけない、パーマはいけないなどの決まりが多く、そのころ少しパーマもカラーリングも入っていた私の髪を寄付する先は、もしかしたら私の調べが足りなかったのかもしれませんが、私が調べた限り、国内ではまったく見つからなかったのでした。それでも、患者さんの気持ちを少しでも理解できたらという新米看護師さんたちの思いに私も続きたい、と思いながら探し続けると、“Locks of Love”というアメリカの団体にたどりつきました。この団体は、なんらかの病気のために髪を失ってしまった6歳から21歳のこどもたちのために、それぞれのこどもの頭の大きさに合うかつらを作る団体です。なぜこどもたち限定なのかというと、かつらは大人用に作られているものが多く、大人が使うような大きさの既製品のかつらは成長中のこどもの頭には大きすぎて、それが落ちないようにテープや接着剤などで安定させると、頭皮がかぶれたりしてしまうからです。病気で髪を失った多くのこどもたちは、友達にからかわれたり、いやな思いをさせられて、髪以上のもの ― “自分自身”を失ってしまうことがあります。泳ぎに行ったり、お買い物にいったり、友達と遊ぶことからさえひきこもりがちになってしまいます。かつらひとつあれば、そのこどもたちの日常には、多くの人たちが持っているはずの「普通」や「あたりまえ」が戻ってくるのです。このように、こどもたちの中に自尊心を取り戻す足がかりをつくること、それがこの団体が目指していることです。
Locks of Loveについて調べていて私がもっとも心を動かされたのは、寄付される髪の80%は、こどもたちからのものであると知ったことでした。私はすでに大人だったので、20%側の人々に加わることで、20%をより大きな数字へと変えられたら…という思いを持ったのでした。大人になって髪を伸ばすことは、どのようにしたら人と接するときに見苦しくないだろうか、不快感を与えないだろうかと考えながら生活したり、こどもに比べて決してよいとは言えない質の髪を手入れしたり、私には毎日根気がいります。素敵なヘアースタイルにしてみたい!そんな気持ちもちょっとはあります。そのように生活をしながら、だいたい2年~2年半ごとに、30センチほどの髪を切り、どこかで、少しでも、だれかの幸せにつながれば…と願って、ふたたび伸ばし始めます。
自分の髪がいつまで健康な状態でいられるかは分かりません。自分の根気もいつまでもつかなぁ…と思うこともあります。今ぐらいの長さがちょうどよくて、いちばん好きです。でも、20%をより大きな数字に変えられたら、私の小さな根気がどこかで大きな喜びに変わるなら、という気持ちで、次のHair Donationに向けてふたたび伸ばし始めて、今回も3ヶ月が経とうとしています。
Hair Donationを通して私がいま考えることは、たとえ自分は多くを持っていないかもしれなくても、自分の物の見方や考え方、捉え方を変えてみたり、気づきを大切にすることを心がけて過ごしてみると、自分をどのように役立たせられるかということや、もっと自分の心を寄せるべき人や物事が見えてくるのではないかということです。「売るための髪」という考えが「寄付するための髪」という視点を持ち始めた誰かによって、Hair Donationの活動は始まり、広まってきたのだと思います。私も、まだ自分に見えていない何かに気づくことが、誰かのためになる何かに変わっていきますように…そういう過ごし方や生き方ができますように…という思いと祈りを胸に、今日も1日を始めたいと思っています。そしてみなさんにとっても、授業での学びや、周りの人たちとのかかわり、日常生活をする中で、心うごく気づきや視点を得て、さらにそれがみなさん自身にとっての喜びにもなるような時間が、今日もひとりひとりにあったらいいなと願っています。
これで宗教朝礼を終わります。
(英語科 Y.Y)
(Locks of Loveホームページ) http://www.locksoflove.org/