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フィールド日記

2013年02月

2013.02.17

フキノトウが顔を出しました

 

 2013.02.17 Sunday
寒い一日でした。風も冷たく、黄瀬川の近くでジョウビタキを見かけたほかは、生き物の動く気配がほとんど感じられない一日でした。タゴガエルの鳴き声もまったく聞こえませんでした。かろうじて見つけた春の兆しが今日の写真です。今年も裏の駐車場の縁にフキノトウが顔を出しました。早春の山菜として古くから日本人に親しまれてきたフキノトウですが、その中にはフキノール酸、ケンフェノール、アルカロイドなどのポリフェノールが多く含まれ、胃を強くし腸の働きを整えるそうです。フキノトウを食品として利用することは極めて理にかなったことであったということです。

今日のことば 

 最近、大江邦夫『オディロン・ルドン 光を孕む種子』(みすず書房・二〇〇三年)という本を読んだ。フランスの画家、ルドンをめぐる本だが、そのなかで、とくに心に残ったのは、ルドンの若き日の友人であったアルマン・クラヴォーについての章だった。
クラヴォーは、植物学者。いつも顕微鏡を手もとに置き、生命の研究にはげんでいた人物。ルドンよりもひとまわり年上で、生物学のみならず、文学や思想などにも詳しく、貴重な本を集めて書庫をつくっていたという。ルドンは、画家となる前、まだ十代のころに、クラヴォーと出会い、深い影響を受けたとされている。インドの詩について聞かせるなど、ルドンの興味を引く魅力を秘めた人だったのだろう。ルドンはパリへ出て、絵の道を模索するようになる。一方、クラヴォーは、ボルドーで研究をつづける。けれど、その実力にもかかわらず、ボルドー植物園長の要職を与えられないなどの挫折があって、四十過ぎてから自殺してしまう。
いったい、クラヴォーは、どんな人だったのだろう。静かな部屋にいて熱心に顕微鏡をのぞきこむ男のすがたが浮かんでくる。あるいは、書庫の本棚から本を抜き取り、ゆっくりと開く男の背中が、浮かび上がる。
百年以上前の地方都市ボルドーで、インドの詩を愛読したり、神秘思想にも通じていたというクラヴォーは、理解と同時に、多くの誤解も受けていたにちがいない。孤独だったかもしれない。だが、私には、この人物のすがたは、幸せのひとつのかたちであるように見える。
研究を正当に評価されず、最後は自殺。その名も、歴史のなかに長く埋もれていた人物なのだ。それなのに、なんとなく、この人は幸せだったのではないだろうかと思える。どうして、そう感じるのだろうと考えて、とても単純な答えに辿り着く。つまり、この人は、なにをやりたいのか、いつも自覚していた、ということだ。
充実、などという言葉で表せば、あまりにも陳腐になってしまうけれど、一瞬一瞬が、内側からきっちりと支えられていた人ではないかと感じられる。自分の内側から支えられる、ということは、とても大事なことだと思う。

蜂飼耳  

2013.02.16

ヒサカキハフクレフシの中で越冬するホソガの幼虫を発見



2013.02.16 Saturday

ヒサカキの葉上にホソガが作るヒサカキハフクレフシという虫こぶを見つけました。虫こぶの中にはホソガの幼虫が潜んでいました。白い線はホソガの幼虫が葉の隙間にトンネルを作ったあとで、茶色く変色している部分が幼虫の出す化学物質によって植物が形成したホソガのための居住空間です。この時期の幼虫は九州以外ではあまり確認されていませんが、今回、静岡県裾野市で発見されたということは、他の県でも発見の可能性があるということになります。もしデータが蓄積され幼虫越冬の地域が北上していることが確認されれば、ヒサカキハフクレフシを温暖化の指標としてとらえることができるようになります。『不二聖心のフィールド日記』をお読みのみなさんもお近くのヒサカキの葉をながめてみてはいかがでしょうか。九州以外で、写真と同じような模様の、幼虫が中にいるヒサカキハフクレフシが今の時期に見つかったら、一つの重要な資料となります。

 
今日のことば

今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか。雲はどんなかたちをしていましたか。風はどんな匂いがしましたか。あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を見たことがありますか。樫の木の下で、立ちどまったことがありますか。街路樹の木の名を知っていますか。樹木を友人だと考えたことがありますか。

長田弘  

2013.02.15

キッコウハグマと閉鎖花

 

2013.02.15 Friday

 林道でキク科のキッコウハグマを見つけました。キッコウハグマは、蕾のまま花を開かずに自家受粉する閉鎖花をつけることがあります。自家受粉は他の花から花粉を運ぶ必要がないだけ受粉が容易になり、それだけ種子を多くつけることができます。しかし、そのようにしてできた種子は同じ遺伝子を持つことになり、遺伝子の多様性は失われます。ある生物の繁栄がするためには、個体数を増やすことと遺伝子の多様性を保つことの二つの手段があります。キッコウハグマは、時に自家受粉をし、時に他家受粉をすることによって、その両方の戦略をとろうとしているわけです。閉鎖花が生まれた意味を考えるだけで自然界の不思議を実感することができます。

今日のことば          

善事とは神を信じることである、悪事とは神から離れて人と自己とに頼ることである。そのほかに善事もなければ悪事もない。病気は必ずしも悪事ではない。もし私たちを善なる神に導くならば病気もまた善事である。健康は必ずしも善事でない。もし健康が人に自己を頼らせ、自己を賢いと思わせるようになるならば、健康はかえって悪事である。貧困も同じことである。その反対の富貴も同じことである。

内村鑑三  

2013.02.14

蜂の巣に似ているハチノスタケ

  2013.02.14  Thursday

 第2牧草地の池の近くでハチノスタケを見つけました。管孔(キノコの傘の裏側に形成される器官)が蜂の巣状になっているところから、ハチノスタケと呼ばれます。
キノコの中には特定の樹木にだけ生えるものもありますが、ハチノスタケはさまざまな広葉樹に寄生することで知られています。特定の生物と結びつくことで繁栄をはかろうとする生き物もいれば、幅広くいろいろな生物と関わりを持つことで繁栄を勝ち得ようとする生き物もいます。自然界の生き物のつながりは実にさまざまです。


 

今日のことば 

 昨日の新聞から92 平成19年2月26日(月)
『物語の役割』(小川洋子 ちくまプリマー新書)を読む
―― 人間は、なぜ物語を必要とするのか? ――

2月18日の朝日新聞に、小川洋子の『物語の役割』という本についての、次のような短い書評が載りました。

 小説家の空想力や想像力には、現実の中にちりばめられているたくさんの題材がヒントになる。誰もが現実を受け入れるために「物語」を紡ぎ出しているのだ。自作がイメージから言葉になっていく過程や、子ども時代の本の思い出などをテーマに、小川ワールドを語った講演録。(ちくまプリマー新書・714円)

 この短い書評からもわかるように、小川洋子が問題にしている「物語」とは、「源氏物語」や「若草物語」といった文学作品だけを指すのではなく、広く現実の世界で生まれる「物語」をも含んでいます。書評には「誰もが現実を受け入れるために『物語』を紡ぎ出しているのだ」とありますが、そのようにして生まれた物語の例として、小川洋子は次のような話を紹介しています。

 もう一人私がここで思い出すのは、1985年、日航ジャンボ機の墜落事故で、九歳の息子さんを亡くされたお母さんの姿です。私は遺族の方々が編まれた文集を読んだのですが、この九歳の坊やは生まれて初めての一人旅で、大阪のおじさんの家へ行く途中でした。当時人気のあった、清原、桑田のいるPL学園を応援するために、甲子園で野球観戦をする予定でした。それであの、JAL123便に乗ったのです。
たぶんお母さんは、スチュワーデスさんがいる分、新幹線より飛行機の方が安心だと思われたのでしょう。羽田まで息子さんを見送った別れ際、息子さんは「ママ一人で帰れる?」と言ったそうです。
なぜあの飛行機に乗せたのか。九年の人生で一番怖い思いをしただろう時に、どうしてそばにいてやれなかったのか。お母さんの文章は、始終自分を責める言葉で埋まっていました。直接そうは書かれていませんが、自分が子供を殺してしまった、という思いが伝わってきました。
恐らく同じ立場に立たされた母親なら、全員そう思うでしょう。一生自分を責め続け、自分を許さないでしょう。しかし、現実をありのままに見るなら、責任を取るべき人たちは他にいます。尾翼の不良を見逃した日航か、機体を製造したボーイング社か、同じ機体が以前しりもち事故を起こした時、調査した運輸省(当時)か……、とにかく責められるべき人がいるはずです。そして母親には何の落ち度もありません。
けれど、たとえそうした責任追及がきちんとなされ、原因がはっきり解明されたとしても、母親の罪悪感は消えないはずです。自分が子供を殺した、というフィクションの中に、苦しみの源を持ってくる。そういう苦しみ方をしなければ受け止めることのできない悲しみが、この世にはあるのでしょう。
事故からちょうど二十年が経った夏、テレビのニュースでそのお母さんの姿を拝見する機会がありました。遺族の集まりのリーダー的存在として、さまざまな活動を通し、空の安全を追求している様子が映し出されていました。もちろん、息子さんを失った悲しみは一かけらも消えていません。しかし、悲しみに押しつぶされるのではなく、それを礎として、自分の経験を社会のために生かそうと努力しておられる。そのお姿に胸を打たれました。
現実を棘で覆い、より苦しみに満ちた物語に変え、その棘で流した血の中から、新たな生き方を見出す。お会いしたこともないお母さんから、私は人間が作り出す物語の尊さについて教えられた気がしました。

 ここに引用した物語は、日航ジャンボ機墜落事故が契機となって生まれた物語で、特殊な体験を綴ったものと言えるでしょう。このような体験をしていなければ、物語は生まれないものなのでしょうか。そうではないと小川洋子は考えます。『物語の役割』の中には、「物語はそこかしこにあるのです」や「誰でも生きている限り、かたわらに自ら作った物語を携えている」など、小川洋子の物語観がうかがわれる発言がたくさんあります。
「物語はそこかしこにある」という考えを説明するにあたって、小川洋子が取り上げたのは『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本でした。『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』は、アメリカの人気作家ポール・オースターが呼びかけて全米から集めた話を一冊の本にしたものです。ここでも一つだけ紹介しておきましょう。

ファミリー・クリスマス

(これは父から聞いた話だ。1920年代前半、私が生まれる前にシアトルであった出来事である。父は男六人、女一人の七人きょうだいの一番上で、きょうだいのうち何人かはすでに家を出ていた。)

 家計は深刻な打撃を受けていた。父親の商売は破綻し、求職はほとんどゼロ、国中が不況だった。その年のクリスマス、わが家にツリーはあったがプレゼントはなかった。そんな余裕はとうていなかったのだ。クリスマスイブの晩、私たちはみんな落ち込んだ気分で寝床に入った。
信じられないことに、クリスマスの朝に起きてみると、ツリーの下にはプレゼントの山が積まれていた。朝ごはんのあいだ、私たちは何とか自分を抑えようとしつつ、記録的なスピードで食事を終えた。
それから、浮かれ騒ぎがはじまった。まず母が行った。期待に目を輝かせて取り囲む私たちの前で包みを開けると、それは何か月か前に母が「なくした」古いショールだった。父は柄の壊れた古い斧をもらった。妹には前に履いていた古いスリッパ。弟の一人にはつぎの当たった皺くちゃのズボン。私は帽子だったーーー 11月に食堂に忘れてきたと思っていた帽子である。
そうした古い、捨てられた品の一つひとつが、私たちにはまったくの驚きだった。そのうちに、みんなあんまりゲラゲラ笑うものだから、次の包みの紐をほどくこともろくにできない有様だった。でもいったいどこから来たのか、これら気前よき贈り物は? それは弟のモリスの仕業だった。何か月ものあいだ、なくなっても騒がれそうにない品をモリスはこつこつ隠していたのだ。そしてクリスマスイブに、みんなが寝てからプレゼントをこっそり包んで、ツリーの下に置いたのである。
この年のクリスマスを、わが家の最良のクリスマスのひとつとして私は記憶している。
ドン・グレーヴズ(アラスカ州アンカレッジ)

小川洋子は、「このなかに非常に深い物語が隠れている」と思うと言います。『物語の役割』は決して抽象的な物語論ではありません。このように深い意味を持った、いい話がたくさん紹介されていて、読んでいて飽きることがありません。とりわけ興味深く読んだのは、小学生の時に『ファーブル昆虫記』を通して小川洋子が学んだ、読書の意味についての話でした。続けて引用してみましょう。

小学校に入ってからの読書経験の中で、私を特に夢中にさせたのは、『ファーブル昆虫記』です。ご存知の方も多いと思いますが、その最初に取り上げられているのがスカラベ・サクレ、いわゆるフンを食べる虫、フンコロガシです。
牛や羊のフンを玉にして転がす習性があるこの虫は、体は丸くて平たく、黒光りしています。頭部のへりがシャベルのようになっていて、ギザギザの歯が付いており、前肢も同じくのこぎりの歯のようにギザギザしています。まずフンを見つけて飛んできますと、頭と前肢で適当な部分を切り分け、山の中からきれいに球形をくり貫きます。その途中で集ってきた他の仲間が多くて邪魔になると、前肢でパシンと叩き落としたりします。それから、くり貫いた球形の表面を、前肢の平たい部分をこてのように使ってつるつるに整えます。その時玉は地面の同じ場所に固定されたままで、雪だるまを作る時のようにクルクル回転させたりはしません。そして、完全な球形を作ってから初めて、他のスカラベに邪魔されない安全な巣穴まで運びます。それは自分の体よりもずっと大きな玉です。
この転がし方がユニークで、逆立ちをして後ろ向きに玉を押してゆくのです。二本の長い後肢で玉を抱えるようにして、その後肢の先にある爪を玉に刺して、そこを中心に回転させます。前肢で体重を支えながら、その前肢で地面を右左、右左と素早く押して、後ろ向きに進んでゆく。急な坂で失敗して転がり落ちても、でこぼこ道でも、十回でも二十回でも失敗しながら、がむしゃらに進みます。
途中、ずる賢いのがいて、やっと一つの玉を作り終え、さあ、と転がし始めたところに、お手伝いしましょうか、という風を装って親切そうに寄ってきます。本来の持ち主が、逆立ちをして一生懸命玉を押しているのを、お手伝いの方は、立ち上がった格好で引っ張るのですが、リズムが合わずに、とうとうお手伝いは手足を縮めて玉に張り付いて、玉と一緒に転がってゆきます。あとで自分がいただいてしまおうという魂胆のようです。あるいはそこで喧嘩になって、お互い玉の上と下ではたきあいになり、もうどっちが本来の持ち主か分からなくなって、とうとうはたき落とされた方が、最初から玉の作り直しをするはめになる、というような小さなドラマが繰り広げられます。
そうこうしながら、安全な気に入った場所まで玉を運ぶと、今度は食事用の穴を掘ります。だんだん穴が深くなってくると、心配になるのか、外に出るたびに玉の方をチラッと見て、「ちゃんとあるな」と確かめます。それでもまだ安心できない時は、玉に触ってみたりもします。それで元気を取り戻し、また巣穴を掘りはじめます。そこへ食料となる玉を入れ、自分も中に入り、土で入り口を塞ぐ。あとはゆっくり食べるだけです。
私は、広々とした草原で、懸命に玉を転がしてゆくスカラベの姿に思いを馳せました。彼らは道具等一切使わず、神様から与えられた、生まれ持った自分の体だけを使って、完全なる球形を作り出します。誰に教わるのでもなく、練習してそうできるのでもなく、生まれながらにして玉つくりの名人なのです。ファーブルはスカラベのことを、「天才だ」と書いています。

 さて、このようにして小川洋子はスカラベの話を紹介しているのですが、この話を読んで最も強く心に残ることは何でしょうか。フンを転がすというスカラベの生態のユニークさでしょうか、フン玉の取り合いの激しさでしょうか、その持ち主が簡単に入れ替わってしまうことの理不尽さでしょうか。さまざまな点で興味深い話ではありますが、『博士の愛した数式』の作者は、たいへん独特な読み方をしています。続けて引用してみましょう。

 自分が立っているのと同じ地続きのこの地面の向こうで、自分とは全く異なる姿かたちをした生き物が、自分とは全く違う方法で生きている。遠すぎて見えない場所にもちゃんと世界があって、そこも神様の見事な計らいによって守られている。私は『ファーブル昆虫記』を読んで、何とも果てしない気持ちになりました。自分が何か偉大で巨大な全体の一部分であり、その部分をスカラベと平等に分け合っている、という気持ちとも言えるでしょうか。自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感を、『ファーブル昆虫記』によって私は味わったのです。

 小川洋子の考える「物語の役割」の一つがここにあります。つまり、私たちは、物語を読むことを通して「何か偉大で巨大な全体」に触れ、「自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感」を味わうことができるというのです。
平成18年度の「昨日の新聞から」は92号で終わりとなります。64号(『藍の空、雪の島』を読む)のカンボジア難民の話から92号のスカラベの話まで、実に多くの物語を紹介してきましたが、良い物語というものは確かに自分という小さな存在を離れて大きな世界へと私たちを誘い、「大きな流れに身を任せることの安心感」を感じさせてくれるものだと強く思います。
新しい年度においても、「大きな流れ」の存在に目を開かせてくれる、すばらしい物語との出会いがあることを祈りつつ、今年度の「昨日の新聞から」を終わりにしたいと思います。

2013.02.13

白い綿毛のコウヤボウキとピンクの綿毛のコウヤボウキ

  2013.02.13 Wednesday

 2月12日のクローズアップ現代で、智弁和歌山の高嶋仁野球部監督が指導者としての精神的修養のために約20キロの高野山町石道を歩いているという事実を報じていました。
不二聖心の中にも心を整えるのにふさわしい道はたくさんありますが、とりわけ第2牧草地から東名カントリーへと続く林道(生徒は5月のオリエンテーリングの時にこの道を歩きます。)は心が落ち着く道です。この道は、日本各地で絶滅危惧種に指定されている希少種の宝庫でもありますが、今の時期は高野山に関わりのあるコウヤボウキ(高野箒)が種子をつけている姿を見ることができます。(コウヤボウキは宮城県で絶滅危惧Ⅰ類、群馬県で準絶滅危惧種に指定されています。)コウヤボウキは、通常は白い綿毛の種子をつけますが、今年はピンクの綿毛の種子をつけている木が2本だけ確認されました。とりわけ希少なコウヤボウキかもしれません。


関連するホームページ
http://www.wakayama-kanko.or.jp/kataribe/01/about_index.html


 

 今日のことば

 目が弱くなりました。よくは見えないのですよ。でも、それはいつも朝もやのときと夕暮れのとき、いちばん物静かな詩の雰囲気が漂うということなのです。私は今、なんと幸せなのでしょう。いつも薄明のなかにいて、いらないものが詩のたたずまいを妨げるということと戦う必要がなくて、もう動けなくなったので散歩にも行けないけれど、いつも詩の風景のなかにいます。思い出の風景もオーリヴァの顔も、目がはっきりと見えていたときでさえ、こういう神の吹き下ろしてくださる靄や霧のなかにありました。友信さん、健やかなあなたももう七十ですから、こういうふうにならないとも限りません。でも人間の運命にはいつもゴッテスドゥフト(神の香気)が漂うのを忘れないようになさいね。

ヴァレスカ・クリューガー・フォン・レンスキー  

2013.02.12

雑木林で見つけたウスタビガの繭  牧草地のタネツケバナ

  2013.02.12 Tuesday

 第2牧草地の上の雑木林でウスタビガの繭を見つけました。先日は第1牧草地の横の道で見つけたウスタビガの繭を「不二聖心のフィールド日記」で紹介しました。不二聖心では、かなり広範囲でウスタビガが生息していることがわかります。

関連する「不二聖心のフィールド日記」
フィールド日記 2012.11.29 ウスタビガの交尾  森の中の鳥の声

 

 第2牧草地の入り口のところには、タネツケバナが咲いています。アブラナ科の植物によく見られる細い棒状の実が写真でもはっきり確認できます。早春の野を彩る小さな命の姿です。

今日のことば

信仰とは己の神に耐えることだと思うほど、神の恵みが見えにくいときがあります。皮をむかないことには実の食べられないのが果物の常ですが、恵みもときに固い皮の下に潜んでいて、わかりにくいこともあります。すでに存在する恵みを辛抱の末に発見することが信仰の道だとも言えます。人生はそれゆえ自分に与えられた恵みを発見する旅なのです。

今道友信  

2013.02.11

シダらしくないシダ  トウゲシバ





 2013.02.11 Monday

 林道の脇にかたまって生えているトウゲシバをよく見かけますが、一か所だけ今の時期に胞子をつけているトウゲシバの生えている場所を見つけました。黄色い胞子のうを見ると、杉の稚樹のようにも見えるトウゲシバがまぎれなくシダ植物であるということがよくわかります。手で触れると黄色い胞子の粉があたり一面に飛び散りました。トウゲシバは鹿児島県で準絶滅危惧種に指定されています。またフペルジンAを含むために医科学の分野でも注目されている植物で、トウゲシバの成分を含むサプリメントは、学習能力や記憶力の向上に効果があるという説もあるようです。

参考ホームページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%B3A

 

今日のことば 

君の一日の中の一時間を、君の魂の最も純粋な声のためにささげる習慣をつけたまえ。その習慣のためには、新聞雑誌や宣伝文ではない、古今東西の永遠の書物や、また最良の音楽がたしかに助力を与えてくれる。それらの書物、それらの音楽に、君自身の魂の立場から触れたまえ。

片山敏彦  

2013.02.10

春の訪れ オオイヌノフグリが咲きました



 2013.02.10 Sunday
  今日は久しぶりに第2牧草地を歩いてみました。牧草地を覆っていた外来種のメリケンカルカヤは不二農園の方々によって見事に刈り取られていました。
牧草地の脇の道ではオオイヌノフグリを見つけ、春の訪れを実感しました。稲垣栄洋さんの『身近な雑草のゆかいな生き方』という本にはオオイヌノフグリの学名ついての興味深い文章が載っています。その一部を引用します。 

オオイヌノフグリの学名は「ベロニカ」という。重い十字架を背負って刑場に向かうキリストの顔の汗を拭いてあげた女性のハンカチに、キリストの顔を浮かび上がるという奇跡が起きた。この女性の名がベロニカである。オオイヌノフグリの美しい花をよく見ると、キリストらしい人の顔が浮かび上がっている。これがベロニカと呼ばれるゆえんである。なんと高貴な名なのだろう。
花に浮かび上がったこのキリストの顔は、実はハチやアブを呼び寄せるための模様である。四枚の花びらには中央へ向かって蜜のありかを示すガイドラインが引かれている。まさに迷えるハチたちを導いているのである。
 

今日のことば

恐れなければ、人生はすばらしいものだ。人生に必要なもの。それは、勇気と想像力、そして少しばかりのお金である。

チャーリー・チャップリン  

Yes, life is wonderful, if you’re not afraid of it. All it needs is courage, imagination, and a little dough. 

2013.02.09

ウメノキゴケと中国の大気汚染

  2013.02.09 Saturday

 本館前の築山の紅梅はしばらく前から花を咲かせていますが、白梅はまだ蕾です。同じ梅でも種類によって開花時期が大きく異なることがわかります。


 不二聖心の梅の木には地衣類のウメノキゴケがたくさん付いています。空気が汚れてくるとこのウメノキゴケは姿を消すと言われます。つまりウメノキゴケは環境調査の一つの指標となるということです。中国の大気汚染の影響が懸念される今、周辺のウメノキゴケの状況を調査しておいて、その後の変化を見守ることも重要な意味を持つように思います。

参考ホームページ
ウメノキゴケを用いた環境調査について
http://www.asahi-net.or.jp/~ep3n-kizm/asobo/umenoki.htm

今日のことば

 時実利彦先生がおっしゃっていたことを思い出します。子どもに「考えさせる」ということをした人がいちばん教師としてすぐれている、……できるようになったか、ならないか、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実、「考えなさい」と言った人ではなくて、考えるということを本気でさせた人が、いちばん偉いとおっしゃったのです。それだけのために教師はあるぞと、先生はおっしゃったのです。

大村はま  

2013.02.08

クヌギエダヒメコブフシ

  2013.02.08  Friday

 不二聖心で初めて、クヌギエダヒメコブフシという虫えい(虫こぶ)が確認されました。『日本原色虫えい図鑑』では、クヌギエダヒメコブフシが次のように説明されています。

直径2~数mmの半球形あるいは不整球形の膨らみがクヌギの小枝に連なって形成される虫えいで、表面は平滑、淡緑~緑褐色。ときには葉柄や中肋に形成されることもある。連なった虫えいには多くの幼虫室があるが、1個の幼虫室には1匹の幼虫が入っている。この虫えいからはタマバエの他にタマバチや甲虫類の幼虫が得られることもあり、複雑な複合体が構成されている。少なくともタマバエが虫えい形成者であることは確実であるが、タマバチなどとともに複合虫えいを形成している可能性もある。

 虫えい(虫こぶ)は、互いにつながりあう自然界の象徴のような存在だと常々思っていますが、クヌギエダヒメコブフシは、とりわけ複雑なつながりを作り出しているようです。

今日のことば
                                

 昨日の新聞から72 平成18年6月26日(月)
 『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社編)を読む
―― 少年院から届いた詩集 ――

6月15日の朝日新聞の「折々のうた」に次のような歌と大岡信の文章が載りました。
 この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し   

島秋人(しまあきと)  

 『遺愛集』(昭四二)所収。昭和四十二年(一九六七)年十一月二日、小菅刑務所で死刑を執行された死刑囚。警察官だった父が敗戦で失職し、自らも中学を出て非行少年となった。新潟県の農家に深夜忍びこみ、主人に重症を負わせ、その妻を絞殺、金品を奪って逃走するがまもなく逮捕された。獄中で短歌を独習し、毎日新聞の歌壇欄に投稿、選者窪田空穂を師父と仰ぐ。多くの愛読者があった。右は刑死前夜の作。三十三歳。

 この「折々の歌」を読んで、久しぶりに島秋人のことを思い出しました。『遺愛集』は大学時代の僕の愛読書であり、刑務所での日常を愛おしむ歌を繰り返し読んだことを覚えています。新聞に載った歌には、処刑というかたちで人生の最期を迎える直前の心境が「この澄めるこころ」と表現されていますが、島秋人が落ち着いた静かな心で死を迎えたことは、処刑当日書かれた手紙からもうかがい知ることができます。短歌と出合うきっかけをつくってくれた吉田絢子さんに宛てた手紙を引用してみましょう。

奥様
とうとうお別れです。思い残すことは歌集出版が死後になることですね。被害者の鈴木様へのお詫び状を同封しますので、おとどけくださいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守ってくださいね。父たちもかわいそうな被害者なのです。
短歌を作ってよかったと思って感謝しています。僕のことは刑に服してつぐないする以外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。

 島秋人の歌と手紙を久しぶりに読んで、僕は次の言葉を思い出しました。刑務所で五十年にわたって作歌の指導をしてきた扇畑忠雄の言葉です。

 「わたしは年齢こそ上だが、人生では彼らがベテランです。悪いことをし、苦しんでいるのだから。石ころを蹴飛ばし、花を千切って歩いていた人が、歌を通じて見るものが新鮮に感じられるようになれば、すばらしいことですね」

 実は、偶然にも、この一週間の間にもう一度、この言葉を思い出すことになりました。それは『雨のふる日はやさしくなれる』という詩集と出合ったことがきっかけでした。『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリー)がどのような本かを伝えるために、嶋谷宗泰さんの「発刊にあたって」の文章を引用してみます。

 少年の詩は、心の底の感動を素直にうたい上げるものです。日々の生活の中で、いろいろな思いが心につまって、豊かな感動となり、それがあふれて、濃縮された言葉で表現されたものが少年の詩だと思います。
少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。
八街(やちまた)少年院に来た少年たちはそれぞれ相当に非行の進んだ少年たちです。入院する前は人を傷つけ、自分をも傷つけ、人間であることを自ら拒絶したようなすさんだ心情に身をおいた少年たちです。人間らしい豊かな感受性や知性を堅い殻の中に閉じ込めて、全て無気力に、あるいは野獣のように荒れてきままな生活を送ってきた少年たちです。その少年たちに詩を書かせたいと思いました。一見それはたいへん不釣り合いなのですけれど、不釣り合いだからこそ、やる価値があると考えたのです。
しかし、ここで目指したものは、文学や芸術としての詩ではありません。生活の中の喜びや悲しみを素直に感じ取って、それを簡潔に表現することで、一生懸命生きてゆくことの尊さや、苦労しながら成長することの楽しさを少年自らが認識してゆく方法として詩を指導したいと思ったのです。つまり、芸術として詩を作らせるのではなく、教育として、心を育てる手段として、生活詩を書かせようと考えたのです。勿論、結果として、少しでも芸術の香りのする作品ができるに越したことはありません。しかし、芸術的な価値がなくとも、少年が真剣に考え、感じ取り、その感動を表現することができることをこそ、大切にしたいと思いました。たとえ表現が優れていても、その言葉に真の生活実感がこもっておらず、いわば口先だけで書いたのでは、詩は教育としての力を持ち得ません。表現が稚拙であっても、感動する心をこそ、大切にしてゆきたいと思いました。
詩の指導を開始してほぼ二年がたちました。月に1回程度、全員を集めて、少年たちの作った詩をプリントして配り、それを大きな声で朗読しました。その詩の良いところを話しました。そして、詩は心の感動を表現するものだから、感動を表現できる豊かな心がなければならないということを、だから、詩を作るということは、心を耕して心を豊かにすることなのだということを繰り返し話しました。表現の上手、下手はあまり問題にしませんでした。表現の指導よりも、心の持ちよう、ものの見方や感じ方を指導しました。

 嶋谷宗泰さんは、「少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。」と書いていますが、少年たちの詩を読むと、嶋谷さんの思いが見事に実現していることがよくわかります。少年の詩をいくつか紹介してみましょう。


なりたい  和規(幼い頃から父母の葛藤の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えた。)

心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい。


うそ   昌士(父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けた。)

今日 詩の話があった
僕の名が二つもあった
素直に嬉しかった
寮にもどると
うそが うまいなあ
と みんなに言われた
悲しかった

僕の生活がみんなに
そう言わせているのかな


人の祈り   兵吾

人は誰でも祈る
自分の都合に合わせて祈り
それが叶うと喜び 叶わぬと怒り
それでも人は祈り続けて
人など勝手なものだ
無論 私も自分のためにしか祈ったことがない

しかし
人は
自分以外の人のために 祈ることもあるという……
いつか
私も人のために祈ることができるだろうか
本当に人のために祈ることがあるだろうか


ごめんなさいが言えなくて   吉之

ごめんなさい
その一言が言えなくて
多くの人を不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
自分をこんなに不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
後悔だけが残った
ごめんなさい
心からこの一言が言えていたら
俺は今ごろ何をしていただろう

 嶋谷さんは「思えば彼らは、これまでに、幾度も挫折し、深い悲しみと苦しみを重ね、悩み、若くして大いに苦労を重ねて生きてきたわけで、いわば大変な苦労人です。彼らの詩には、彼らでなければ書けない、若い苦労人の優しさがあるように思われます。」と書いています。

 本当に苦しんだことがある人だけが持ち得る優しさがある。そのことを、島秋人も扇畑忠雄も嶋谷宗泰も、そして少年たちも教えてくれているように思います。