シスター・先生から(宗教朝礼)

2017.02.15

2月15日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

高校3年生の皆さんの卒業まであと4日となりました。
 今、高校3年生の皆さんの心の中には、この不二聖心で過ごした6年、もしくは3年間の想い出が去来してることと思います。昨日・一昨日の、最後の祈りの会でも、不二聖心での想い出を振り返る時間があったと聞きました。卒業を前にして歩く校内は、ひときわ感慨深いものがあったことでしょう。
 高3の選択科目に、国語表現という授業があります。その授業で1月からすごろくを作りました。題して、「不二聖心の6年・3年間を振り返るすごろく」です。これは、すごろくを作って遊ぶことが目的と言うよりは、コマをみんなで考えることによって、ああ、あんなこともあったね、こんなこともあったねと語り合うことを目的としています。中学1年生から遡ってコマの内容を考え始めると、楽しかったことだけでなく、辛かったこと、日常のささいなやりとり、中学生のときの素朴な疑問などいろいろなことが出てきました。中には、私には全くなんのことかわからないけれど高3の方々にはわかる、というコマもあり、教師には計り知れない、長くて濃い時間を共有してきた学年の深さを感じさせます。
 そんな中、中学2年生の時のコマに、気になるものを見つけました。「お菓子事件 10マス戻る」です。
私が、高校3年生の皆さんと一番深く関わったのは、皆さんが中学2年生のときでした。覚えているでしょうか? そのときは私とS先生が担任で、O先生とN先生が副担任でついてくださっていました。皆さんと行った最後の自然教室や、御殿場YMCAでシスター竹内のお話を伺った祈りの会など、想い出はたくさんあります。しかし、私の中で確かにいちばん印象に残っているとしたらこの「お菓子事件」が挙げられます。事件の発端は、教室や廊下にお菓子のゴミが落ちていたこと。「心当たりのある人は申し出なさい」とHRで言うことが何回か続きました。そして、再び、教室の廊下側前方に飴の個包装を破った切れ端が落ちていたのです。「もうこれは見過ごすことはできません」と私は言ったと思います。「何回あっても改まらないのだから、これはみんなで話し合いをする必要がありますね」ということになりました。誰かが、「でも、もしかしたら私たちのじゃないかもしれません。他の学年のものとも考えられませんか」と言いました。確かに、ゴミはソフィアスクエアに落ちていたものもあったと思うので、中2のものとは言い切れません。教室は放課後になれば誰でも出入りすることだってできます。しかし、「他の学年のせいかも、と言ってそれで済ませるのは簡単です。でも、今回お菓子のゴミが落ちていたのは中2の教室です。絶対に自分たちではないと言い切れますか。中1や中3のせいにして、それで本当は自分たちだったとしたらどうしますか。私たちではないという言葉に責任持てますか」となり、学年全員での話し合いが行われることになりました。
 話し合いは前期の最終日。秋休みに入る前の日の終礼後に行われました。今、私がこのことを全校の皆さんにお話しするのは、高3の方々にも昔こんなことがあったんですよ、ということではなくて、高3の方々が、この話し合いに向き合った姿勢の美しさを伝えたいからです。高3の方々は、本当に真面目に話し合いました。始めは重たかった口がだんだん開いてきて、お菓子のことに限らず学校生活全般のことについてまで話し合いは進みました。ほとんど全員が発言し、自分たちはきちんとした姿でいたい、無関心はよくない、お互いに注意できる関係でありたい、そういう言葉が沢山聞かれました。今だったら、「なんでこんな話し合いしなきゃならないんですか」と言ったり、帰ってしまう人がいたりするかもしれません。でも、全員残ったと記憶しています。私はその話し合いを聞きながら、明るかったロッジ前の風景が少しずつ暮れていくのを眺めていました。
もしかしたら、高3の皆さんの中ではこの「お菓子事件」は私とはちょっと違う感じで記憶されているかもしれませんが、私にとっては、皆さんの誠実さと真摯な姿をとてもよく表している想い出として残っています。担任の私たちも真剣でしたが、それに真剣に応えてくれました。元々高3の皆さんは、とても真面目でした。例えば、1時間自習の時間があったりすると、本当に1時間誰も一言も言葉を発することなく、休むことなく勉強を続けられる人たちでした。控えめではあったけれど、物事をきちんとしようという姿勢は学習にも、生活にも、行事や奉仕活動にも表れていました。私とS先生は、中2の終わりに、「この学年を担任できてとても幸せな1年を過ごさせてもらったね」と何度も言い合いました。
 だから、今年度、最上級生になった高3の方々が行事を次々と成功させている姿をみて、それはそうだろう、と思う気持ちがありました。例えば、私の目から見て、今年の体育大会は盛り上がりの中にも落ち着いた雰囲気で練習が進んだと思います。それは下級生の姿を見ればわかります。高3の教室を見ればわかります。高3がバタバタ落ち着かないと、下級生も落ち着かなくなります。授業に遅れたり、上の空だったり、疲れ切ってぐったりしてしまったり…ということが見られることもあります。今年は、私が担当している授業ではそのような下級生の姿は見られませんでした。また、下級生は指導できても、自分たちがぼろぼろで、という高3もいます。体育大会前に高3の教室に授業で行くと、体操着や教科書などが床や机に散乱していて、それを畳んだり整理して歩く…などということもあったりします。それも今年はありませんでした。体育大会の華やかさとは別に、そのように形に表れない、評価されにくいところでも、とてもエレガントであったと思います。自分たちが大変でもそれを表には出さず、下級生をしっかり導いていく。不二聖心の最上級生として、とても美しい姿だったと思います。
 高校3年生の皆さんは、自分たちが真面目な学年であると言われることに違和感を感じたり、不本意に思ったりすることもあるかもしれません。しかし、真面目の何が悪いのですか。誠実であることは人間として何よりの宝です。皆さんは真剣であるべきことに真剣に応えることができる人たちです。ぜひ、誇りを持って進んでいってください。そして、後に続く下級生も高3の方々の姿を見ならって、誠実に学校生活を送っていっていただきたいと思います。                              
 これで宗教朝礼を終わります。
M.S.(国語科)