シスター・先生から(宗教朝礼)

2021.01.06

2021年1月6日の宗教朝礼から

 お正月に皆さんはおせち料理を食べたましたか?私の感覚では「お正月におせち」は「あたりまえ」のことなのですが、どうも世の中はそうでもないようで、おせちを食べずに正月を過ごす人たちが若い世代を中心に増えてきているようです。正月に重箱をつつきながら夫にそのことを話すと、「そりゃ冷え切った料理を喜んで食べたがる人なんて、今時いないでしょ」とムゲもありません。確かに子どもたちが喜びそうな具材も少ないし、ご飯のお供にもなりにくい味付けですし、わざわざ年末に手間暇かけて作る甲斐がないといえばその通りです。「昔はみんな家で正月を過ごし、その間主婦が少しでも楽をできるようにと料理を作り溜めしたのがおせち料理なんだろうけど、今は寿司でもピザでもデリバリーしてくれるし、ラーメン屋でもファミレスでも正月から営業しているからなあ。おせちを用意する意味がなくなっちゃったんじゃないの?」と夫は言うのです。言われてみれば、今年はおせちの売り上げが伸びたそうですが、コロナの影響で正月に家から出るのを控えたからだというのです。ホントは外食したかったのに、みんな仕方なくおせち料理を購入したというのでしょうか。

 「でも、日本人なんだから年末におせち料理を作って、家族でお雑煮食べながらおせちをつつくのがお正月ってものなのでは?」と私が言うと「え、何で年末に作らなきゃいけないの?そもそも、おせちというのは神様へのお供え物で、季節の節目に作るものだよ。ほんとは桃や端午の節句とか、年に何回も作るものらしいよ。日本人の伝統というなら、しょっちゅうおせちを作らなきゃならないわけで、自分だって正月に作るだけだろうし、そもそもおせちの具を作るとしてもたくさんの種類を作るのは大変だから、数種類ぐらいしか自分では作らずに、後は買って揃える家庭も多いのでは?日本人なら正月はおせちだ、って決めつけるのはナンセンスだよ」などと言われてしまうと、もう言い返せません。どうも私があたりまえだと思っていたことは、夫も含め世間的にはあたりまえではないようです。

 正月におせちを食べなくなったのは、正月でも普通に買い物や外食ができるようになったからという意見は確かに正しいようです。私が子どもの頃は元旦に営業しているスーパーはありませんでした。初売りといえば1月4日のイメージがあります。飲食店も、お寺や神社の門前では店を開けていたと思いますが、市街地のお店は休んでいました。正月でも普通にショッピングや飲み食いができるようになったのは、コンビニやファミレス、大きなショッピングセンターが出現してからだと思います。今はもう、わざわざ料理を作り置きをしなくたってお正月を過ごせる時代なのです。でも、と私は思うのです。おせち料理は単なる保存食ではないのです。黒豆はマメに勤勉に働けるように、数の子は子孫繁栄、イワシの小魚で作る田作りはその名の通り五穀豊穣。一つ一つの料理にはそれぞれ願いや縁起かつぎ、魔よけの意味があるのです。来年も家族みんなが健康に、幸せに過ごせますように。そんな気持ちがおせち料理には込められているのです。世の中がどんなに変わっても、幸福を願う気持ちは変わらないはずだと私は思うのです。

 世界的に感染症が広がることで、去年一年間で世の中の様子は大きく変化しました。時代が変わるとあたりまえのこともあたりまえではなくなってしまうことを、私たちは目の当たりにしています。でも、どんなに世の中が変わっても、ずっと変わらないあたりまえもあるはずです。おせち料理が家族への愛を体現したものであるならば、それはきっとこれからもあたりまえのようにお正月の食卓に上がっていて欲しいと私は思うのです

大切なことは ぜんぶここにある。

泣くこと 笑うこと 怒(いか)ること 喜ぶこと

あたりまえの気持ちは あたりまえのものとして

そのまま 今ここにある。

(さくらももこ『ぜんぶ』より)

M.S.(家庭科)