シスター・先生から(宗教朝礼)

2021.01.27

2021年1月27日放送の宗教朝礼から

 宗教朝礼を始めます。先月、冬休みに入る前にはコロナ感染が少し落ち着いて1月からはほぼ全員が登校して授業を始められると期待していました。しかし、いまだ収束の気配が見えず学年によってはオンライン受講している生徒が半数近くいます。

不二聖心でもコロナの影響で、様々な行事が中止やオンラインになり、留学を中断したり、海外に行けなくなった人もいて大きな変更を余儀なくされました。
例えばCAやパイロットを目指す人は、JALやANAが採用を中止したために小さい頃からの夢を断念したり、年齢的にオリンピック参加をやめた人もいると聞きます。
世界中で、仕事を失ったり進学を諦めたり将来が見通せず、経済や健康に不安を感じ、怯えている人が大勢います。
これだけ感染が広がっていくと、もはや他人事ではなく明日にでも自分や家族もどうなるのだろうと心配になります。多くの人が自分自身や家族のことを考えるのが精一杯で、なかなか他人のことまで思いやる余裕がなくなって来ます。
不二聖心では恒例となっていたクリスマスの奉仕活動も中止になりました。仕方がないことですが、毎年会っていた施設の方にも会えず、今このような状況下でどうされているのか気になりながらも、訪問することは出来ません。 
そのような中でも温情委員会では何かできないかと考え、高校生は奉仕のLHRでマスク入れを作成して施設に送り、普通のバザーが出来なくてもチャリティーラッフルを企画し例年通り寄付金を集め、送金しました。何でも中止にしてしまうのは簡単ですが、諦めずに工夫をして実行した温情の会委員の顧問の先生や生徒に頭が下がります。
社会でも、私たちの命を救ってくれる医療従事者の方が、最初の頃、感染のリスクが高いため、子どもが登校を拒否され、入店を拒まれるという差別がニュースになりました。最近では、飲食店が食事を差し入れたり子どもの保育料を無料にしたりと感謝を具体的に表す活動が増えてきているようです。そのようなニュースを見て少し救われた気持ちになります。
聖書の話の中で、今回連想した箇所があります。皆さんも御存じだと思う有名な箇所です。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見てあわれに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか』
今の状況でいうと、追いはぎはコロナウィルスに相当するのでしょうか。世界中の多くの人が健康を損なったり、仕事を失ったり、親しい人との関わりを絶たれたりして苦しめられています。他人の大変な状況に対して聖書のようには出来ませんが、大きなことは出来なくても、無関心ではないようにしたいと思います。
カトリックの学校である不二聖心に通う皆さんには、この精神が伝わっていると思います。制約の多い学校生活の中で、不便を強いられ不満が生じることもあると思いますが、コロナ禍のこのような状況だからこそ、他者に対する思いやりをいつも以上に強く持ってもらいたいと期待しています。そのような人が増えれば、この危機を乗り越えられる気がします。
これで宗教朝礼を終わります。
J.K.(数学科・情報科)