学院ダイアリー

2015.03.10

東日本大震災から4年を迎えるにあたり

明日で東日本大震災から4年となります。
不二聖心では今年度も東北の被災地にボランティア活動に参加した生徒たちがいました。今年度の「奉仕活動・海外体験学習報告」の冊子に掲載した生徒たちの感想文から一部をご紹介いたします。

「カリタスジャパン さいたま教区いわき市もみの木ステーション」で8月6日から8月8日にボランティア活動した高校3年生Oさんの感想から

・・・いわき市のこの地域には私の親戚が多く住んでおり、これまで何度も福島県には足を運んでいました。しかし、私が目にした懐かしい場所は、震災後から人の手が入っていない時間の止まったような空間となり、空虚感が漂う場所に変わっていました。瓦礫撤去はされておらず、津波の影響で駅の改札は跡かたもなく破壊され、車が引っくり返ったままであったり、民家は傾き崩れ、家の中がめちゃくちゃなまま。中には住民の手紙や年賀状が泥まみれで落ちていました。震災から3年が経とうとしている今で、地域全体の時が止まっているかのような場所でした。
放射線量は警戒区域の場所によって大きく違います。沿岸部は風があるので比較的に低いのですが内陸部になると沿岸部の3~4倍あったりと大きく異なります。日中決められた時間のみ立ち入ることができる富岡は、手入れのされていない草を刈るボランティアの人の姿や、故郷の復興を祈る姿の住民がいました。富岡から先は許可証を持つ特別な人しか立ち入ることは許されていません。南は沖縄県、北は北海道、全国の警察官が応援に来て通行規制をしていました。年月が経つにつれ、メディアはこの話題からどんどん遠ざかっているのが現状だと言えるでしょう。岩手県や宮城県の被災地はもう復興の兆しが見え、建て壊しが始まっていますが、原発に近い地域では、崩れた民家は黄色の危険テープで囲われただけの状態です。復興とは何なのかという疑問と同時に、原発への怒りがこみ上げました。
いわき市には帰宅困難地域に住む方々の仮設住宅がたくさんあります。仮設住宅には冷暖房完備されていますが、隣との壁が薄くストレスが溜まるっている方が多いと聞きました。最初の方に建てられた仮設住宅よりも後に建てられた仮設住宅の方が条件が良かったりすると知りました。最近では、仮設住宅でなくアパートや団地を建設したり、もっと良い場所を提供できるように国や県が積極的に住居問題について取り組んでいるようです。(中略)皆さんが少しでも「見えない被災地」、福島県の現状を知り、警戒区域として立ち入ることが困難な地域に住んでいた被災者のために祈りを忘れずに生活して頂けたら幸いです。

震災4年を前に