シスター・先生から(宗教朝礼)

2018.06.20

2018年6月20日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

“この地球上で5.6秒に1人、5歳の誕生日を迎えることなく亡くなっています” 
 皆さんはこの言葉を聞いて、どのような気持ちになり、何を考えるでしょうか。先日、中学2年生のLHRのユニセフの講演会でこの言葉を聞き、忘れかけていた想いにはっと気付かされました。
私が小学生の頃だったでしょうか。さまざまな環境の中で生きている世界の子どもたちを取り上げた番組、「世界がもし100人の村だったら」を欠かさずに見ていました。そこで紹介される子どもたちは、当時の私と同世代でしたが、取り巻く環境は真逆と言っていいほど、とても過酷な状況で必死に生きていました。
 ある子は、親の暴力から逃れるためストリートチルドレンとして、マンホールで暮らしながら自分自身で命を繋でおり、ある子は、朝から晩まで家族のために働き、学校に一度も行ったことがありません。
それまでは、世界には貧しい暮らしをしている人がいるという単なる知識としての理解だったのですが、映像として目にした時の衝撃は今も忘れることができないほど、心を痛め、自然と涙がでてきました。世界には、こんな苦しい想いをして生きている人がいるのだ、私はなんて恵まれているのだろうと思いましたが、この気持ち以上に何かを感じ取らなければいけないと当時感じていたことを今、思い出しています。何年か経ち、教育関係の仕事に就きたいと教員の勉強をしましたが、貧しい国の子どもたちの教育に携わりたいなあと心のどこかで思っていました。しかし、今、その気持ちを行動に移せていないことばかりか自分のことで精一杯で、世界の現状を思い出すことすらあまりできていないのではないかととても情けなく思っています。この聖心という学校で、世界に目を向ける機会がたくさん与えられる環境に身を置けたことは、何か意味があるのではないかと自分なりの使命を感じているところです。
 現在、世界の総人口は約73億人です。宗教、自然環境、政治、経済など人々を取り巻く環境は違います。この世界を100人の村で表わすと多くのことに気付かされます。
「世界がもし100人の村だったら」という本からたとえを紹介します。
 100人のうち、20人は栄養が充分ではなく、1人は死にそうなほどです。でも、15人は太りすぎです。
この問題は、SDGsの2番目のテーマ:飢餓をゼロに、12番目のテーマ:つくる責任 つかう責任に当てはまります。クラスの約5分の1の人が栄養不足なのです。お腹が空いても食べ物がありません。想像できるでしょうか。食べ物に困らない日本ですが、好き嫌いや気分で量を変え、残し、粗末に扱っている人が多くいるのは、悲しく、恥ずかしい行為だと思いませんか。スーパーでもコンビニでも廃棄するほどの食品が売られているのが今の日本の現状です。そんな中、飢餓に苦しみ、栄養失調で亡くなる人もいるのです。生産する人、消費する人それぞれが考えていかなければいけない問題です。
 もう一つのたとえを紹介します。
 100人の村人のうち1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターをもっています。けれど、14人は文字が読めません。この問題は、SDGsの4番目のテーマ:質の高い教育をみんなに、10番目のテーマ:人や国の不平等をなくそうにあてはまります。教育は、生きていくためにも、世界の未来を創っていくためにも必要不可欠です。生まれた国の違いによって、教育を受けられない子どもたちがたくさんいます。そんな環境に置かれた子どもこそ、夢を持っていることに私はふと気が付きました。日本の子どもたちより、ずっと強い心で、夢や目標を語っています。夢を叶えるためには、教育が必要です。夢の中には、勉強したい。学校に行きたい。という私たちなら当たり前のように叶えられるものもあります。強い意志はあるのに、取り巻く環境が邪魔して叶えることが難しいのです。学校で生活ができ、学べることは、とても幸せなことなのです。もう一度、自分の学ぶ姿勢を見つめなおしてみてください。
 この本について、メキシコからきた留学生と話をしたことがあります。彼女はこう言いました。日本は豊かなのにみんなそれに気付いていないし、マイナスな考えをする。そこがとても残念だし、もったいないと。他国の人から見たら、日本はそのようにみられているのだと日本人として、恥ずかしくなりました。日本は、豊かなようで豊かでないのかもしれません。
 2012年、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連持続可能な開発会議で感動的なスピーチをした世界で一番貧しい大統領と言われているウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏のことを知っている人は多いと思います。彼は、次のように述べています。
豊かさを最も大切に思う人々に尋ねたい。インドの全家庭が、ドイツ人の各家庭が持っているのと同じ数の自動車を持つようになったら、インドだけでなくこの地球はどうなるのでしょうか。たとえば、私たちが呼吸できる酸素は、どれだけ残るのでしょうか。
私が思う貧しい人とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも、私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない、物で溢れた環境にいる人、粗末に使っている人ほど貧しい人だ。大切にしてください。
 世界中の誰もが、生きていくために地球にある資源を必要としています。いくらお金があっても、豊かで便利な環境が整っていても、きれいな水、空気、土壌、植物がなければ生きていくことはできません。モノで溢れた生活が幸せだと思っていませんか。モノで溢れた生活に今、満足していませんか。
私たちは、どのように今後の地球と人々の命を守っていけばよいのでしょうか。どのような未来を望んでいけばよいのでしょうか。本当に大切にしなければいけないものは、何なのでしょうか。
今、皆さんはSDGsについて、さまざまな場面で考えることが増えてきていますね。聖心の生徒として、世界の現状を知り、それを発信し、考え、行動に移していけることを期待しています。
 世界中のすべての子どもたち、人々が生きるということが当たり前となり、皆が平等に幸せな毎日を過ごしていける日が早く訪れるよう、私も自分自身にできることを始めていこうと思います。
これで、宗教朝礼を終わります。
(参考:『世界がもし100人の村だったら』
    『世界で一番貧しい大統領と呼ばれたホセ・ムヒカ 心を揺さぶるスピーチ』)
(保健体育科 Y.O)