シスター・先生から(宗教朝礼)

2021.02.24

2021年2月24日放送の宗教朝礼から

これから宗教朝礼を始めます。
僕の母は青森県野辺地町の島谷という家に生まれました。島谷家は江戸時代から回船問屋を営んでいました。回船問屋は、江戸時代の流通の中心を担う存在であり、島谷家の当主は代々、全国各地の多くの人々と交流してきました。本家には1800年に伊能忠敬が宿泊したという記録が残っています。伊能忠敬は日本地図を作成するための旅の途中で野辺地に宿泊しましたが、彼の旅にはもう一つ大きな目的がありました。それは全国各地での天体観測です。野辺地でも天体観測が行われ、忠敬は天体の観測をした地点を克明に地図上に残しました。その場所は野坂という家のあった場所でした。島谷家と野坂家は縁戚関係にあり、日頃から親しく交流をしていて、母からは野坂家の御子息の方と小学校時代に同級生であったことなどを聞いていました。
大学4年生の時、教員になることを目指して勉強を続け、夏に不二聖心に就職することが決まりました。東京の私学に勤めていた伯母にそのことを報告すると、伯母は野辺地の親戚の野坂先生は、かつて東京聖心で教頭を務めた方だからご挨拶に行きましょうと言いました。
世田谷のご自宅に伯母と母と3人でお邪魔し、野辺地での昔話などに花が咲きましたが、そこで僕は野坂先生が、温情舎が聖心会に移管されて不二聖心女子学院となる過程で、たいへん尽力なさったことを知りました。この訪問がきっかけとなって野坂先生の車で不二聖心まで連れて行っていただくことになりました。不二聖心時代のいろいろな話をうかがいながら、首都高から東名高速に入り裾野インターを目指しました。はじめて訪れる不二聖心で、野坂先生と以前、一緒に働かれ後に僕自身もたいへんお世話になるシスター方にお会いしたり、写真の腕前ではプロ顔負けの野坂先生にマリアガーデンで記念の写真を撮っていただいたりしたことなどを今も懐かしく思い出します。
不二聖心に勤めて4年目に僕は不二聖心の聖堂で結婚式をあげることになりました。この式に野坂先生にもぜひ参列していただきたいと思い、招待状をお送りしたところ、先生から結婚のお祝いとして一冊の手作りのアルバムが送られてきました。そこには、先生が聖心女子学院と不二聖心女子学院に勤務する中でお撮りになったたくさんの写真が貼られていました。後に第55代内閣総理大臣となる石橋湛山が不二聖心を訪問された時の写真など、歴史的にも価値があると思われる写真も多数含まれていました。
最も印象に残ったのは、「あとがき」として添えられていた文章です。そこには、野坂先生が1952年に聖心温情舎高等科の認可をとるために奔走した時の苦労が綴られていました。その一部を引用します。
野坂の聖心温情舎派遣の使命はやがて修道院が出来るまでの、学校維持並びに、中学卒業生の沼津の高等学校への受験指導と高校新設認可取得が絶対至上命令であった。しかし考えてみると、中学校は学年単級の為、中学とても全校で3教室、小学校は古い小教室……、これで高等学校設置認可をとれとの命令である。敷地は農園全体で22万坪あるとはいえ、当時学校用地としては校舎の他に140坪の校庭と100名収容の小講堂があるだけである。昭和27年、静岡県県庁への陳情のほか、県全体に散らばる私学審議委員の個別訪問をつづけながらの格闘である。いずれの審議委員も聖心会経営の学校のスバラシサは承知しているものの、この条件不備ではどうにもならない。
このような困難な状況の中で野坂先生は体重が3キロ減るほどの苦労を重ね、ようやく聖心温情舎高等科の認可をとりつけます。認可が下りなければ、「切腹もの」だと覚悟するほどのプレッシャーの中で、野坂先生は当時の校長のマザー吉川に窮状を訴えることがあったそうです。そのような時にマザーは決まって「先生、そんなに一人で心配なさらなくても神様がちゃんと観ていて下さいますから」とお答えになりました。
前身の温情舎の伝統を受け継いで不二聖心女子学院へと続く新しい歴史が作られていく時に、体重が3キロ減るほどの野坂先生の懸命な努力とマザー吉川の神様への信頼と祈りがあったことをとても意義深いことに思います。この事実は、人間のなし得るかぎりの努力と神への絶対の信頼が不二聖心の歴史を作り上げてきたことのシンボルともとらえることができます。
まもなく創基100年の1年が終わり、101年目がスタートします。これからの不二聖心の歴史の中で、どのような時にあっても、一人一人ができるかぎりの努力をすることと神様への祈りと信頼を忘れないことを両立させて歩んでいけたらと思います。
最後に「一致の祈り」の一部を唱えて話を終わりたいと思います。
上からの導きを仰ぐ謙虚さと、自らすすんで前進しようとする自発性とが、私達の中で見事に結びつくように、主よ英知をお与え下さい。
これで宗教朝礼を終わります。
H.М.(国語科・宗教科)