シスター・先生から(宗教朝礼)

2021.10.20

2021年10月20日放送の宗教朝礼から

 これから宗教朝礼を始めます。
 先日、新聞に寄稿された、ある文章の中にいくつかのエピソードが紹介されていました。
 一つ目は、大阪の看護師の方の体験談です。その方が通勤途中に若い女性と正面衝突しそうになりました。その若い女性はすれ違いざまに「死ねや」という言葉を残して去って行ったそうです。
 次は島根県のある学校での話です。朝、正門で教師が「おはよう」と声をかけると生徒が「死ね」と返して校内に入っていきました。
 続けて、5年前、保育園に我が子を入園させることができなかった母親がブログに書きこんだ言葉が改めて紹介されていました。「保育園落ちた。日本死ね。」というあの言葉です。
いずれの話も、「死ね」という言葉を発する人の心のありようが思いやられる話で、「死ね」と言われた相手の思いに想像が及んでいない理由として、いったいどのような背景があるのかと考えずにはいられない話ばかりでした。

 聖心女子学院の「18歳のプロファイル」に「自分の中にある自己中心性に気づき、それを是正しようとしています。」という項目がありますが、このようなエピソードを読むと、私たちの中に残念ながら抜きがたく存在する「自己中心性」というものを思わずにはいられません。
 この抜きがたい自己中心性を乗り越えるためにはどのような方策が考えられるのでしょうか。大切なことの一つは、私たちの表層の自我を超えたところに存在する自己中心性を超えていく力に信頼していくことではないかと思います。
私たちの内面の深いところに自己中心性を超えていく力が確かに潜んでいることを伝えるエピソードを紹介したいと思います。

 1981年6月10日にヒマラヤのボゴダ氷河で実際にあった話です。京都山岳会登山隊の白水ミツ子隊員が、第一キャンプからベースキャンプヘ下山中の午前11時20分、ボゴダ峰第一キャンプから30分ほど下ったアイスフォール帯直下の広い雪原状の氷河上で白水隊員は氷の割れ目に転落しました。人間の体がようやく入るほどの氷の割目に落ち、そのまますべるように20mほど氷の暗闇の中に落ちていきました。直ちに第一キャンプに緊急連絡され、かけつけた救助隊員が現場に到着したのは13時10分でした。さっそく宮川清明隊員が氷の割れ目を降りていこうと試みました。入口は80センチくらいの、人間がやっと一人くぐれるくらいの氷の割れ目でしたが、中に入るにしたがってさらに狭くなり、上から4メートルのところで少し屈曲して幅は50センチくらいになっていました。そこで下の方にひっかかっている白水ミツ子隊員のザックが見えました。しかしそこからはさらに狭くなり、靴を真っすぐにしては入れず、アイゼンの爪も効きません。ザイルにぶらさがったままの状態で、少しずつ降ろしてもらい、ようやく白水隊員のザックに達しました。期待をこめてザックに手をかけましたが、その下に白水さんはいませんでした。さらに声をかけると、応答はありましたが、聞こえてきたのは、はるか下の方からでした。そこからは氷の壁はまた少し屈曲し、あたりは真っ暗で、それ以上は下りていくことができませんでした。仕方なくザイルの端にヘッドランプをつけて降ろしました。20メートル降ろしたところで彼女に達したようでしたが、彼女はザイルをつかまえることが出来ないのか、ザイルからはかすかな手ごたえを感じるものの、引揚げてもそのままザイルだけが空しく上がってくるだけでした。そういう作業を何度もしながら宮川隊員は「しっかりしろ」と大声で彼女に呼びかけ続けました。

その時です。はるか下から白水隊員の声が聞こえてきました。
「宮川さあーん、私ここで死ぬからあー」
「宮川さあーん、奥さんも子供もいるからー、あぶないからあー、もういいよぉー」
という声でした。かなり弱った声でしたが、叫ぶような声だったと宮川隊員は記録しています。
16時、彼女の声はまったく聞こえなくなりました。カメラ助手の新谷隊員、そして当日頂上アタックした山田、大野両隊員も氷の割れ目に降りてみました。しかし誰も宮川隊員が降りた位置より下には行けず、21時、ついに救助作業は打ち切られました。
白水ミツ子さんは29歳、独身でした。

心の苛立ちから思わず「死ね」と言ってしまうのも私たち人間の姿なら、極限状態で相手の生還を願って自分の救助を断念することを促すことができるのも私たち人間の姿なのだと思います。
自己中心性を乗り越えていくことが聖心のすべての生徒に求められているテーマです。日々の生活の中で、私たちの内面の深くにある自己中心性を乗り越えていく力が豊かに育ちますようにと祈る心を忘れないでいたいものです。

これで宗教朝礼を終わります。            

  国語科・宗教科 H・M