シスター・先生から(宗教朝礼)

2022.06.02

2022年6月1日放送の宗教朝礼から

 5月が終わり、6月に入りました。皆さんにとって6月はどのような月でしょうか。新しい学年での最初の大きな試験を迎える月でしょうか。前期中間試験前の最後の週であるこの時期は、試験勉強の追い込みに入っている方も多いかと思います。カトリック教会では6月は伝統的に「みこころの月」ということで、イエスの「みこころ」に思いを馳せる月間ですね。皆さんの学んでいる不二聖心女子学院の「聖心」という漢字二字は他にどのような読み方がありますか。そう、「みこころ」ですね。6月は聖心女子学院全体が大切にしている月でもあります。試験を目前に控えた忙しい時期ではありますが、少し手を止めて「みこころ」について改めて考えてみましょう。

「みこころ」とは聖なる心であり、英語のSacred Heartやフランス語のSacré-Cœurの訳語です。ちなみに、ドイツやオーストリアの姉妹校ではHerz-Jesuというドイツ語表現が使われている学校もあるようです。Herzは英語のheartやフランス語のcœurに相当する語で「心・心臓」を表し、Jesuは「イエスの」という意味なので、Herz-Jesuは直訳すると「イエスの心・心臓」を表します。「聖なる心」を意味するSacred HeartやSacré-Cœurとはやや意味合いの異なるところが興味深いですね。
  さて、みこころに対する信仰は、中世の神秘家たちに端を発しその後世界全体へと広がっていきますが、その過程で重要な人物にマルグリット・マリー・アラコックという17世紀のフランスの修道女がいます。ドン・ボスコ社から出ている『み心の信心のすすめ』という本のなかで、「私的啓示」を受けた彼女へイエスがこう語りかけたといわれます。「神の愛の存在を人びとに伝え、証しするために、この心は、底を突くまで人びとを愛し続けてきました。ところが、そのお返しに私が多くの人びとから受け取ったのは忘恩だけです。さげすみ、不敬、冒涜、無関心という報いばかりなのです。愛の秘跡の中にいる私に対して、世の人びとがすることといえば、そのようなことです(pp. 34-35)」当時周囲の修道女たちとの関係に悩み、受難したイエスと自分とを重ね合わせ、その霊的一致を切に願っていたマルグリットの心をこのメッセージは強く打ち、彼女はキリスト者の真の信仰、特にイエスのみこころへの愛を人々の間にとり戻すことを自分の使命だと感じるようになります。神の無限の愛に対して人々が愛で報いることをマルグリットは求めたのでした。聖心のロゴマークを皆さんはさまざまな機会に目にすることがあるかと思いますが、それをイメージしてみてください。描かれているのは「心臓」の象徴であるハート型と十字架のイメージです。イエスのみこころには、ひとつに人類全体の罪を一手に引き受け十字架上で受難したイエスの傷ついた心臓というイメージがありますが、他方で受肉することによって自らを人類と結び合わせ全人類を愛で満たそうとするイエスの「無限の愛」のイメージがあります。『み心の信心のすすめ』には、次のようなマルグリットの言葉がみられます。「無条件に、絶えず、イエスのみ心を愛しましょう。幸福を得るために、すべてを捧げ、すべてを犠牲にするのです(pp. 57-58)」「世に知られ、尊ばれ、愛されているこのみ心こそ、すべての善の源。ここからあふれ出る幸福は、絶えることなく、広く人びとに行き渡っていくのです(p. 59)」
  さて、ここまで主にイエスのみこころについて述べてきましたが、カトリック教会においてはマリアの「みこころ」への崇敬の伝統もあるようです。「マリアの汚れなき御心」という言葉がありますが、この「汚れなさ」は、現実社会の悪や不正、人々の苦しみや悲しみから隔絶し、それらから目を背ける超然的な立場を意味するのではなく、むしろそうしたものを身に帯びた心の状態だといわれます。『聖母マリアの御心崇敬』という本のなかで、マリアのみこころは「時代と場所を越えてあらゆる人々の喜びと悲しみ、苦しみ、痛みに慈しみ深く寄り添い、慰め、支える母性愛に満ちた心(p. 22)」であり、「神と人々に向けられた」「純粋でひたむきな無償の愛の充満した心(同頁)」であると述べられています。イエスのみこころとマリアのみこころの双方に共通しているのは、社会における悪や不正、人々の心の苦しみや痛み、心の貧しさから生じる誤った行為、そうしたものを深く見つめ理解したうえでそれでもなお人類や世界を愛で満たそうとする豊かな心のイメージです。イエスやマリアのみこころには、苦しんでいる人や悲しんでいる人に寄り添う柔和な愛のイメージと同時に、負の側面も含めて世界をそのものとして肯定し愛そうとする力強さやたくましさのようなものも感じられはしないでしょうか。
皆さんは、日々の生活のなかで時に人から嫌なことを言われたりされたりして不快な気分になってしまうことがあるでしょうか。そこで、相手を憎み返してしまうこともあるかもしれません。それが普通の心の動きだともいえます。しかし、そうしたときこそ、十字架上で受難しながらも人類全体を愛していたイエスのみこころを思い返してみてください。7月1日には、みこころの祝日のミサや奉仕活動があります。この日には心を落ち着かせてイエスやマリアのみこころに思いを馳せ、苦しみや悲しみを経験したその先の愛や自分や他者を含めた世界をそのものとしてそのまま肯定し是認するような力強い心の動きを思い出していただければ幸いです。
  これで、宗教朝礼を終わります。
K.O.(英語科)