シスター・先生から(宗教朝礼)

2022.10.12

2022年10月12日放送の宗教朝礼から

 今日はまず、1冊の絵本を読みたいと思います。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ぼくはうしだから もうじきたべられるそうだ
最後にひと目だけ おかあさんに会いに行くことにした
(中略)
ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ
せめて ぼくをたべた人が自分のいのちを大切にしてくれたら  いいな
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 この絵本は中1の祈りの会で神父様が紹介してくださった作品です。はせがわゆうじ作、題名は『もうじきたべられるぼく』、丸々とした可愛い子牛がリュックや水筒を持って歩いている表紙です。遠足に行くかのようなイラストですが、子牛は悲しそうで、でも覚悟を決めたような目をしています。

物語は子牛が電車に乗って産んでくれたお母さんに会いに行く場面から始まります。
誰もいない電車の中、子牛は身勝手な人間や自由に走る馬や動物園のぞうやきりんを思い浮かべては、今の自分を見つめています。しかし、その次のセリフは「空がきれいだ」です。少し唐突に感じますが、この子牛は食用の牛に生まれた運命を受け入れているからこそ、気持ちが切り替えられているのだと思います。自分の不幸を嘆くだけではない強さを感じます。
冷静でいた子牛も懐かしい牧場や母の姿を見て、走り出します。しかし、「もうじきたべられるぼく」が母の幸せな日常を壊してしまうと思い、声もかけずに静かに帰りの電車に乗ります。目的であった死ぬ前に母に会うことよりも、母の幸せを願いました。セリフはありませんが、実はイラストでは電車の中の子牛に気づいたお母さん牛は電車を追いかけて走ります。しかし、牧場の柵から先は行けず、その場で電車を見送りました。

子牛の最後のセリフを覚えていますか。「ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ せめて ぼくをたべた人が自分のいのちを大切にしてくれたら  いいな」子牛は自分の命を大切に食べてほしいと願うのではなく、自分を食べた人がその人自身の命を大切にしてほしいと願っています。

私たちは他の命をいただいて、日々生かされています。お肉だけでなく、卵やお魚、お野菜にも命があると私は思います。高校生のころ、2〜3ヶ月でしたがベジタリアンだったことがあります。アメリカの屠殺場のドキュメンタリーを見たことがきっかけでした。その時の経験から食べ物を選ぶ時にはできるだけ自然の物を、脳ではなく自分の細胞が求めるものを必要な分だけ買うようにしています。毎日の食事の中で苦手なものもあるかもしれません。しかし、その食材たちの命を考えてみてください。そのたくさんの命やたくさんの人の助けがあって、私たちは生きることが出来ています。もっとさかのぼれば、ご先祖様たちの命によって生まれることが出来ました。あなた自身を大切にすることは、あなたの生きる糧となってきた命を大切にすることでもあります。今、周りにいるクラスメイトたち、教え導いてくださる先生方、成長を望んでくれる家族、、、愛情と敬意を持ってお互いを大切にできれば平和な世界に一歩近づくのではないでしょうか。

M.N.(外国語科)