不二聖心からのお知らせ

2026.05.13
2026年5月13日放送の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
いきいきとした緑の中に、夏の気配を感じる季節になりました。
体育大会に向けて、準備や練習に協力して取り組むみなさんの姿が、多く見られます。
良い体育大会となるよう、心からお祈りしています。
さて、カトリック教会では、5月を「聖母月」と呼びます。
この前の日曜日は母の日、そして明日の朝礼では「マリア様の祈り」が行われます。
主の復活の喜びと希望に満ちたこの5月は、神の母である聖母マリアを讃え、お祈りする月です。
私にとって5月は、なんとなく心が落ち着き、どんな自分でありたいかを考えたり、身近な大切な人たちに感謝を伝えたくなる月です。
「大切な人」と聞いて、みなさんは誰を思い浮かべるでしょうか。
家族や友人、上級生・下級生、心の支えになっている存在…
それぞれに、大切な人がいるのではないでしょうか。
私には、今でも心に残っている後悔があります。
それは、数年前、家族で飼っていたワンちゃんのことです。
家に帰ると、しっぽを取れそうなくらい振って、「おかえり〜」と迎えてくれる。
誰かがつらいときには、静かにそっと、そばにいてくれる。
そんな日常が、私たち家族にとって、当たり前の光景でした。
ですが、ある日突然、その日常は終わりを迎えました。
家に帰ったとき、立ち止まって、荷物を置いて、ゆっくり抱きしめればよかった。
最後にかけた言葉は何だっただろう。最後に「大好きだよ」と伝えたのは、いつだっただろう。
次々と後悔が溢れ、涙が止まらない日々を過ごしていました。
そんな時、同じように深い悲しみの中にいる母が、命があるうちにしかできない大切なことを、私に語ってくれました。
私たちは、さまざまな人や命と関わりながら生活しています。
けれど、その存在が近ければ近いほど、感謝の気持ちはどこか照れ臭くて、「言わなくても分かるだろう」と思ってしまったり、それなのに、感情的なことはつい口にしてしまったり…
そんな経験が、誰にでもあるのではないでしょうか。
挨拶や「ありがとう」
これらはどれも小さな言葉ですが、確かな言葉のプレゼントであり、その一言が相手の心をあたためます。
私は、みなさんと交わす挨拶が大好きです。
私はクラスでのお祈りの後、少し間を置いて、しっかりみんなの方を向いて、大きな声と笑顔で挨拶をすることを意識しています。
「おはようございます。」のときには、
「今日もみんなに会えて嬉しいよ。頑張ろうね。」という気持ちを。
「さようなら」のときには、
「今日もありがとう。どうか明日も、みんなが元気に登校してきてくれますように。」
という気持ちを込めています。
きっと、今みなさんの近くにいる先生方も、同じ気持ちだと思います。
「また明日ね」と言い合えることの尊さも、当たり前のようで、決して当たり前ではありません。
少し考えすぎかもしれませんが、明日もこうして教室に集まれる保証はどこにもありません。
もしかしたら、人によっては少し憂鬱に感じてしまう学校生活も、いつか、恋しくてたまらなくなる日が来るかもしれません。
私たちは、目の前にある現状に不満を感じてしまいがちです。
でも、それを失って初めて気づくものが、たくさんあります。
ここで、一冊の絵本を紹介します。
ハンス・ウィルヘルムの「ずーっと ずっと だいすきだよ」というお話です。
この物語には、エルフィーという犬と、男の子が登場します。
二人は毎日一緒に過ごし、家族みんなに愛されていました。
けれど、家族はエルフィーのことが大好きでも、その気持ちを言葉にすることはあまりありませんでした。そんな中、男の子だけは毎晩、こう伝えていました。
「エルフィー、ずーっと、ずっと、だいすきだよ」と。
やがてエルフィーは亡くなり、家族は大きな悲しみに包まれます。
でも男の子は、少しだけ違いました。毎日、「大好きだよ」と伝えていたからです。
私はこのお話を読んだとき、自分の経験と重なり、胸がぎゅっと締め付けられました。
もし、大切な人に明日会えなくなるとしたら、今日どんな言葉をかけたいですか。
言葉は形には残りません。でも、その温もりは必ず、相手の心の中に残り続けます。
マリア様が、静かな愛でイエス様を見守り続けたように、私たちも、身近な人に感謝の気持ちを言葉にして届ける意識と勇気を持てたらと思います。
みなさんが今日も一日、誰かと心を通わせながら楽しく過ごせることを願っています。
これで、宗教朝礼を終わります。
H.S.(芸術科)





