不二聖心からのお知らせ

2026.06.03
2026年6月3日の宗教朝礼から
私は今から40年ほど前に聖心女子大学に入学しました。その頃の私は「大学生になったら絶対に一人暮らしをしたい」と言い張っていました。けれど両親に「一人暮らしは社会人になってからでもできるのだから、学生のうちに共同生活を体験しなさい。将来必ず良かったと思えるはずだから」と説得され、しぶしぶながら学寮での大学生生活を始めることになりました。
その当時の学寮は西寮と北寮に分かれ、1年生は全員西寮の4人部屋での生活でした。唯一のプライベート空間は寝るときにカーテンを閉めたベッドの上のみ。お風呂も皆で大浴場、電話をかける時にはありったけの10円玉を握りしめて公衆電話の順番待ちの行列に並ぶという生活に、初めは不満だらけでした。しかしそのような生活にもいつしか慣れ、仲良くなった友人たちとその日の出来事などを語り合いながら夕食をいただき、週末には皆で大騒ぎをしながら一緒に食事を作ったり、消灯時間の後に誰かの部屋にこっそりお菓子を持って集まり夜通しおしゃべりをするなど、どんどん楽しみが増え、あっという間に4年が過ぎてしまいました。大学を卒業して住むところが変わっても、学寮の友人たちとは時折長電話でお互いの消息を伝え合いながら、ずっと友人関係が続いてきました。そしていつしか私の中では親しい友人というと、学寮で生活を共にしてきた友人たちとなっていました。
7年前に北海道胆振東部地震で札幌周辺が3日間停電となった時に、学寮での友人の一人が「情報が入らないだろうから」と電池式のラジオとたくさんの電池を送ってくれました。また、もう一人の友人は「コンビニに何も商品がない様子をテレビで見たから」とペットボトルのお水と食料品を送ってくれました。届いたのは電気が復旧した後でしたけれど、離れて住む友人たちの心遣いに本当に感激しました。家族ではないけれど、どんなに遠くにいても身近に感じられる存在、どんなに長い間会えずにいてもすぐに打ち解けることができる存在。私たちのこの関係はこの先もかわらずに続くはずです。
そして先日の晴佐久神父様のお話を伺っているうちに、私と友人たちの間にも「一緒御飯」が存在したことに思い当たりました。食事に限らず、自分を飾らずに、相手の欠点もあるがままに受け入れながら一緒に楽しい時間を過ごすことができた、これが私たちの「一緒ご飯」であり、仲間としての強い絆の土台となったものだと確信できました。「自分をとりつくろったり、無理に恰好をつけながらではおいしく食事をいただくことはできない。疲れて果てて途中で嫌になってしまうはず・・」と、そんなことを考えていると両親の顔が目に浮かびました。あの時両親が何を根拠に「学寮での共同生活が将来良かったと思える日が来る」と言ったのか、今はもう聞くこともできなくなってしまいましたが、「ほら、言った通りだったでしょう」と得意げに微笑んでいるように思えました。
家族を始め、人との関わりやご縁は不思議なものです。どんなに遠くにいても身近に感じられる存在、どんなに長い間会えずにいてもすぐに打ち解けることができる存在、そんな生涯の宝物となる仲間に出会えたことに、私は今、心から感謝しています。
皆さんが友達と何気なく過ごしている時間や、寄宿舎で一緒に食事をする時間も、将来の皆さんを支えるかけがえのない絆の土台になっているかもしれません。どうぞ今ある出会いと、これからのご縁を大切に過ごしてください。
H.S.(英語科)





