不二聖心からのお知らせ

2026.06.24

2026年6月24日放送の宗教朝礼から

  みなさんには、「心が帰る場所」がありますか?

 「心が帰る場所」―私自身にもこの言い方が合っているのかどうかわからないのですが、それは、自分自身が安心して、落ち着ける場所のことだと私は思っています。それは物理的な、実際の場所のこともあれば、自分自身の中にあるものではないかとも思います。
 以前、祈りの会でチャプレンの牧山善彦神父様がこのようなお話をしてくださいました。「怒りや疲労、孤独、飢餓を感じたときに、心を空っぽにして、まずそこに自分をおいてみる。自分がつらい気持ちやどうしようもない気持ちになったときに、そこに自分をおくことでふっと自分の心が軽くなって、安心できる場所というのが私たちには必要であると思うのです」と。カウンセラーの先生もおっしゃっていました。「『ハウス』というのではないですが、自分の安心できる場所があるといいですね。何かあったときや、心を落ち着けたいなと思ったときに、ここに入れば安心だ、と思えるような場所を作っておくといいですよ。そこは誰にも左右されない、自分だけの自由な場所です。」
 数年前のお二人のこのようなお話から、私はこの場所を「心の帰る場所」と名づけて、自分にとっての「心の帰る場所」とはどんなものなのだろうと考えてきました。まず一つ思いついたのは、子供の頃にずっとベッドの頭上に飾ってあったぶどうの木の絵。聖書の言葉が書かれていたその絵は、今思えば御絵と呼ばれるものだったのだと思います。毎晩寝る前にその御絵を眺めながら、今日あったことや今自分が考えていることなどを思い巡らす時間、それが子供の頃の私の「心の帰る場所」であったように思います。
 もう一つ、不二聖心に勤めるようになってから、私が「心の帰る場所」としてイメージするものがあります。それは「感ずべき御母」のお姿です。みなさんも教室で「感ずべき御母」のお姿を毎日見上げていることでしょう。祈ること、学ぶこと、働くことの大切さを私たちに示してくださるマリア様は、目を伏せて静かに思いをめぐらせています。背後には希望を感じさせてくれる夜明けの空。私はいつの頃からか、心を落ち着かせようとするときに自然とこのマリア様のお姿が脳裏に浮かぶようになりました。心が穏やかでないときや、大変だな、と感じるとき、マリア様が目を伏せているお姿を想像すると、自然と気持ちが落ち着きます。目をあけるとそこには黎明の空が広がっていて、また頑張ろうと思えるのです。
 少し話は変わりますが、「感ずべき御母」のお姿に私が重ねるものがあります。10年以上前のことになりますが、聖心の姉妹校の先生方が集まる研修会に参加したときのことです。夜の食事のあとに、みながなんとなくグループを作って歓談する中で、私はあるシスターのもとにいました。不二聖心にもいらっしゃったことのあるシスターです。そのシスターに、小林の先生が、「シスターはなぜシスターになったのですか?最初からシスターになろうと思っていたのですか?シスターになった経緯を知りたいです」と言いました。私はちょっとびっくりしました。そういう踏み込んだ話を無邪気に聞いていいものかどうか戸惑ったからです。しかし、シスターは静かにお話をしてくださいました。シスターは聖心の学校で学ぶ中で、もともとシスターになりたいという強い気持ちをお持ちでした。ただ、お母様を早くに亡くし、ご商売をしていた家にはお父様と下にごきょうだいたちが残された、家事を切り盛りしながらお父様やごきょうだいのお世話もするということで、いったんシスターになる夢はおいておき、ご家族に尽くすことを決めたそうです。しかし、そうした後でゆくゆくは必ずシスターになり、神様にお仕えしたいのだという決意をお父様に伝えたところ、お父様が即座に、「それはいけない。神様にお仕えするのに、そんな使い古しのような娘をお捧げするわけにはいかない。」とおっしゃったそうです。「今すぐにでも神様にお仕えする準備をしなさい」というお父様の言葉に後押しされ、私はシスターになれました、というシスターのお話が私の心に強く残りました。特に、お父様の神様への深い敬愛の念が心に響いたのです。シスターのお話にはまだ続きがあります。シスターになるための修練のため、シスターは不二聖心にいらっしゃったこともあるそうです。その頃はまだ、寄宿生の食事をシスター方や修練生で作っていて、一回の食事にたとえば何百個ものジャガイモの皮を一人でむくこともよくあったそうです。「何百個って…」と私たちが言うと、シスターは「そうね、200個とか300個とか。」とお笑いになりました。「でもね、それは全然苦ではなかったの。神様の元で働かせていただいているのだと思うと、それはもう喜びでした。」とおっしゃるシスターは昔を思い出しているようでとても楽しそうでした。「私はそのままここでずっと地道にジャガイモをむいていたいとも思ったけれど、聖心会のシスターは女子教育という使命があります。教育の場で女子生徒を育てるということが聖心会のシスターに与えられた大切な役割なので、後ろ髪をひかれる思いはあったけれど、不二聖心を離れました」。これが、そのときうかがったシスターからのお話です。
 この後から今まで、私は何度もこのシスターのお話を思い出します。若いシスターがジャガイモをむいている、その姿は私の中でいつのまにかキッチンを出て、広々としたオークヒルの真ん中で一心に仕事に取り組むイメージになっていきます。そしてそこに、いつのまにか「感ずべき御母」が寄り添って、2人は言葉をかわすことはなくても、神様への敬愛の念で強く結びついています。神様に一心にお仕えするその清らかな姿は、私の心も清々しくさせてくれ、次の希望に向けて進む勇気を与えてくれます。
 感ずべき御母の祝日は10月なので、ちょっと時季外れの話だなと思っている方もいらっしゃるでしょうが、1ヶ月少し前に、私は父を亡くしました。高齢でしたし、それなりの覚悟もあったこともあり、普段はそれほど落ち込むこともなく、普通に過ごせていますが、やはりふとした瞬間に、悲しみやどうしようもない気持ち、後悔の念などが襲ってきます。そんなとき、感ずべき御母やジャガイモをむくシスターのお姿を思い浮かべると、救われるような気持ちになるのです。
 みなさんには、「心が帰る場所」がありますか?
 つらくなったり、悲しくなったり、どうすることもできないような気持ちになったとき、その場所は自分を助けてくれ、支えてくれると思います。
 これで、宗教朝礼を終わります。
M.S.(国語科)