シスター・先生から(宗教朝礼)

2026.09.16

2026年9月16日放送の宗教朝礼から

 夏休み後の全校集会で、7月25日にご帰天された聖心会のシスター奥井博子について蒔苗先生がお話しされ、さだまさしさんの「風に立つライオン」を聖堂で聴きましたね。「シスター奥井が大好きだったというこの曲を、シスターはどのような気持ちで聴いていらっしゃったのだろうか。」と、少しだけ自分の人生と重ね合わせながら、私はしみじみと「風に立つライオン」を聴いていました。

私自身、不二聖心で勤務し始めて20年以上が経過しますが、不二聖心の卒業生ではない私にとって、7~8年ほど前まで、シスター奥井は少し遠い存在でした。聖心女子学院の歴代校長に名を連ね、聖心会でも重要な役職に就かれていたので、個人的にお話しすることはほとんどありませんでした。しかし、2019年に私がミッション・コーディネーターという役職をいただいた頃から、少しずつシスター奥井と個人的にお話しする機会が増えていきました。 ある朝、私が黙想の家で行われるミサに参加しようと学院に向かっている途中、シスターが裾野駅に向かって歩いていらっしゃるのを見かけ、駅まで車でお送りしたことがありました。その時に初めて会話らしい会話をし、「いつもミサでお目にかかっておりますが、不二聖心の教員で○○と申します。」と、とても他人行儀な自己紹介から会話が始まったことを覚えています。
しばらくして、ミッション・コーディネーターとしての養成の一つとして、当時の不二聖心の校長だったシスター大原が、シスター奥井と定期的にお話しする時間を設けてくださいました。その学びは1年ほど続き、毎月、書物などを通して聖心会について学びました。シスター奥井から、いわゆるシスターの見習い期間である修練期のお話や、昔の思い出などを伺うことのできる、とても特別な時間でした。今日は、その時に伺ったお話を一つ、皆さんと分かち合いたいと思います。
ある時、シスター奥井が、聖心会裾野修道院の初代修道院長であったマザー・エリザベス・ダフについてお話ししてくださいました。マザー・ダフがご帰天される前の数週間、シスター方が交代でマザー・ダフの看護にあたっていたそうです。ある日、シスター奥井が当番だった時、眠っているマザー・ダフのある動作に気がつきました。意識がほとんどない中で、マザー・ダフの指先が動いていたのです。それは、3本の指先をこすり合わせるような動きでした。シスター奥井は、その動きを見て、すぐにロザリオを唱える時の指の動きだと分かったそうです。
私はシスター奥井からこのお話を伺って以来、時々思い出します。「ああ、長い人生の中で本当に大切にしてきたものは、その人の中にこんなにも深く刻まれていくのだ」と。私自身、自分がこの人生で持っているものは、神様からいただいたものだと思っています。それは神様からの特別な贈り物であり、もし何か人より少しだけ多くいただいた能力や才能があるとすれば、それは自分のためだけではなく、神様や人々のために使うために与えられたものだと理解しています。そして、与えられたものは、誰かのために使えば使うほど、豊かな実りをもたらすのだと思います。そして、年を取るということは、神様からいただいたものを、少しずつ神様にお返ししていくことでもあるように思います。
ただ、その人が人生で大切にしてきたものが、マザー・ダフの指の動きのように、いつも目に見える形で現れるとは限りません。年齢を重ねたり、病気になったりする中で、記憶や言葉、身体の力を失うこともあります。だからこそ、私は「心の目」でその人を見ることが大切なのだと思います。今、その人に何ができるのかということだけではなく、その人がこれまで何を大切にし、誰を愛し、どのように生きてきたのか。目に見えるものだけではなく、その人の人生全体を「心の目」で見つめる時に、初めて見えてくるものがあるのではないでしょうか。
聖書のマタイによる福音書6章21節に、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」というイエスのみことばがあります。私たちは毎日、たくさんのものを大切にしながら生きています。勉強やクラブ活動、友人との時間、家族、自分の将来、夢や目標。もちろん、どれも大切なものです。
でも、皆さんに少し考えてみてほしいと思います。皆さんにとって、本当に大切な「宝」は何でしょうか。私たちは、毎日の小さな選択の積み重ねによって、自分の人生をつくっています。誰かに優しい言葉をかけること、困っている人に気づくこと、自分に与えられた力を誰かのために使うこと、祈ること、感謝すること。そして時には、自分のためではなく誰かのために何かを譲ること。その一つ一つは、その時にはとても小さなことに見えるかもしれません。でも、それを毎日繰り返していくうちに、それは少しずつ私たちの心に刻まれ、いつかその人の「生き方」になっていくのだと思います。マザー・ダフの指先に長い祈りの日々が刻まれていたように、私たちも毎日の生活の中で、少しずつ自分の人生をつくっています。
あの日、聖堂で「風に立つライオン」を聴きながら、私は「シスター奥井はどのような気持ちでこの曲を聴いていらっしゃったのだろう」と考えていました。その答えを私は知ることはできません。でも、シスター奥井からいただいたこのお話を思い出すと、大切なのは、自分が何を持っているかということだけではなく、神様から与えられたものを何のために使い、誰のために生きるのか、ということなのかもしれないと思います。
今日一日、ほんの少しだけ「心の目」で、自分自身と、そして自分の周りにいる人を見つめてみてください。自分が本当に大切にしている「宝」は何なのか。そして、神様から自分に与えられているものを、今日、誰かのためにどのように使うことができるのか。そんなことを少し考えながら、今日という一日を過ごしてもらえたらと思います。
これで宗教朝礼を終ります。
M.M.(ミッションコーディネーター・宗教科・外国語科)