校長室から

2013.09.09

第8回 中高別朝礼の話(2013年9月9日)

今週は「祈りの会」が行われます。英語では“retreat”と訳してかまわないと思います。”retreat”とは、一般的には「退却」「後退」「ひきこもる」等、一見ネガティブなイメージで訳されるのですが、宗教的には、「自ら進んで引きこもる」というようにポジティブな意味で使われます。イエスも、「12弟子」を選ぶ時、「最後の晩餐」の後等、大切なことの前後には、必ず神と共に退き、祈りました。キリスト教の初期には、砂漠や断崖絶壁の孤島で引きこもった求道者もいます。仏教や神道で、一人山に入ったり、滝に打たれたりする修行も同じようなことでしょう。皆さんの祈りの会は一人で引きこもるわけではなく、グループでの分かち合いなどもありますが、沈黙のうちに一人になる時間も必ず用意されています。その時間を大切にして過ごしてください。

祈りの会に向けて、一つの詩を贈ります。



ロマ−ノ・ガルディーニ 

心を静めようとするとかえって騒いでしまう。
ちょうど夜眠ろうとするとき、
心配事や望みが日中にはないような激しさで
襲いかかってくるようなものだ。

・・・最初は自分の内面がどれほど統合されていないか
気づくだけに終わるかもしれないが、
それも無駄な経験ではない。

とにかく自分という存在の中心にふれたことは確かなのだから。

 この夏は、皆さんからのお手紙や体験学習の感想、寄宿生全員の前期の振り返り等を読むチャンスに恵まれました。自分を成長させたい、という思いが伝わってきました。そして、成長し続けている人はいつも自分を一新させている、とも感じました。一日が新たにやってくるのと同じように。たとえ小さなことであっても。 

 「一新」とは、新しい情報や刺激を取り入れるような外からの働きかけだけでは起こり得ません。内側から変えられていく動きが必要です。そのためには、「自分という存在の中心」にふれる必要がある・・・、これが、この夏、あなたたちが書いてくださったものから、私が学んだことの一つです。

 祈りの会の中で、「自分という存在の中心」にふれられるよう、祈っています。