校長室から

2014.06.03

中高別朝礼の話(2014年6月2日、3日)

 5月21日、裾野市立西小学校3年生の児童100名余りがお茶摘みに来てくださいました。初めての試みとして、例年は中学生が行っているお茶摘みを児童の皆さんとペアになって行いました。中学生のお姉さんぶりはとても微笑ましく、異年齢教育が社会性を育てることや不二聖心にかつて小学校があった時代等に思いを馳せました。

 帰り際に、一人の女の子の児童が走り寄ってきて、「あのね、最後に一つきいてもいい?これ、な~に?」と言って、手のひらに「十字架」の印をしました。「ああ、あの塔の上にあるものね。これはね、十字架っていうの。キリスト教で大事にしているもので、“お互いを大切にしましょう”っていう意味なのよ。」「ふ~ん・・・。私ね、中学校は絶対ここに入るの!」「そうなの。じゃあ、待ってるわね!」真剣な眼差しと率直さに圧倒されました。ふと、日本人は自分をはっきり表現しないと言われることがあるけれども本来はそうではない、文化や教育の中にそうさせるものがあるのかもしれないと思いました。それにしてもお茶摘みに来てくれた児童に、キリスト教の本質である十字架について質問されるとは思いませんでした。

 数日後、地区別の保護者会で、ある中1の保護者の方が涙を溜めながら次のような分かち合いをしてくださいました。「エンジェルさんとの対面式の日、中1の生徒は高3の方々と一緒に昼食を頂きました。その時、うちの娘がお弁当をひっくり返してしまったそうです。すると、そこにいらした一人の高3の方が、さっとおにぎりを分けてくださったと娘から聞きました。初対面の娘にこのようにしてくださったというのが本当に有難く、こんな方々のいる学校だから安心して預けられると改めて思いました。」

 この高3がどなたかはわかりませんが、この方に限らず、このようなことが自然に行える皆さんであることはよくわかっています。「愛」のシンボルである十字架は、塔の上の飾りではなく、不二聖心の生徒の中に生きていることを本当にうれしく思います。