校長室から

2014年07月

2014.07.08

中高別朝礼の話(2014年7月7日、8日)

 7月6日(日)に、学院で「温情の灯会 懇話会」があり、温情舎、聖心温情舎、初期の頃の不二聖心の卒業生・旧職員の方々が集まりました。この集まりはいつも“私をあなたの平和の道具にしてください・・・”という「平和の祈り」で始まり、温情舎、聖心温情舎の「校歌」を歌います。「聖心温情舎 校歌」は、不二聖心の校歌の元となったもので、最後の“♪不二聖心~“の部分を”♪聖心温情舎~“と歌っていました。

 私と同じテーブルには、「聖心温情舎」に入学し、「不二聖心女子学院」を卒業したという男性が座っていらっしゃいました。「温情舎」時代の名残で、小学校にはまだ男の子がいた時代です。彼の学年は12人でスタートしたのですが、女の子10人、男の子2人、まさに「24の瞳」のようだったそうです。

 県内の方は、三島市にある「楽寿園」という大きな庭園をご存知でしょう。当時はこの方のご実家でした。小学校入学前にお父様に連れられて聖心温情舎を見学され、三島の公立の学校に行くのとどちらが良いかを尋ねられたこの少年は、ご自分で聖心を選ばれたそうです。不二聖心女子学院中学校は共学ではなかったので、東京の学習院中等部に進学されたのですが、女子が多い環境に慣れていたので男子校でかえって戸惑われたこと、履歴書に「不二聖心女子学院卒業」と書くのに困られたこと等も伺いました。

 そんな小学校時代、1961年に聖心会総長マザー・デュバロンが、ローマから不二聖心女子学院小・中・高等学校を視察にいらっしゃることとなり、一人の小学生男の子がフランス語の特訓を受けて挨拶されたのだそうです。今ならさしずめ英語でしょうが、当時、聖心会の公用語は創立者の母国語であるフランス語でした。驚くことに、この少年は今でも当時のフランス語の挨拶を諳んじることがおできになるそうです。

 人は、きちんと覚えたことは簡単には忘れないものなのでしょう。また岩下壮一師同様、東大に進まれたそうですから優秀な方でもあったのだと思います。ただ、今に至る卒業生同士の絆と、そこから醸し出される雰囲気をからは、それ以上ものを感じずにはいられませんでした。「暗記力」云々というより、温情舎・聖心温情舎での生活が、その人の一生に決定的な影響を与えるようなものであったことの一つのシンボルのように私には思えたからです。

 今年できたばかりの「温情の灯会の祈り」は、「神よ、あなたは私たちを、一つの聖なる温情の地に集めてくださいました・・・」で始まります。今から100年前、岩下清周によって、この地に開かれた不二農園・温情舎は、クリスチャンであった彼の理想や思いを具現化した「聖地」でした。それは今もずっと引き継がれています。皆さんは、全員が温情の会会員であり、ある方々は委員でもあります。私たちもこの祈りに心を合わせ、神様からこの「聖なる地」に集められたことにふさわしく、互いに温情の心をもって過ごして参りましょう。

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この少年を教えた渡辺先生(マザー岩下亀代子は大伯母にあたる)と田中教頭

2014.07.01

中高別朝礼の話(2014年6月30日、7月1日)

 今、ロンドンの聖心で、聖心会第6代総長マザー ジャネット・スチュアートの没後100年祭としてアカデミック・コンファレンスが開催されており、理事長様も出席されています。1857年に英国で生まれ、1911年に総長に選ばれたこの方は、創立者マグダレナ・ソフィア・バラ(1865年帰天)を直接にはご存知なかった最初の総長様でした。

 20世紀初頭、聖心女子学院は世界5大陸に広がり続けていました。そんな時代にあって、スチュアート総長は、マグダレナ・ソフィアから受け継がれた聖心の教育というミッションに忠実であるためには、フランスを中心としたヨーロッパの伝統に固執せず、各々の地域社会や文化、そして時代の変化に適応していかねばならないとして教育の刷新を説かれました。彼女自身、ヨーロッパから始め、船で世界一周の旅をして各地の聖心を視察され、1914年には日本にもいらしています。

 彼女は、生徒一人ひとりがもっている固有の使命について次のように語りました。

 “We must remember that each one of our children is destined for a mission in life. Neither we nor they can know what it is, but we must know and make them believe that each one has a mission in life and that she is bound to find out what it is, that there is some special work for God which will remain undone unless she does it, some place in life which no one else can fill....We must bring home to our children and to ourselves also, the responsibilities of our gifts. We must put our talents at interest not bury them in the earth and the reason is sufficient, that they are God's.” (Janet E. Stuart)

 人には、他の人がその人に代わって果たすことはできないような使命(mission)がある――、これは、よく聞く「人材」とは全く異なる発想です。人材は「有用な人」のことで、「この人がだめなら、あの人」というように入れ替え可能なものともいえるからです。Mission(使命)は、mittere(遣わす)から来た言葉です。私たちは、生まれながらにして取り換え不可能なものとして、一人ひとり神様から遣わされてここにいるということです。このことが本当にわかったら幸いだと思います。

 今日も、私たちは神様から派遣されてここにいます。なんとなく居るわけではありません。まずは今日一日、一人ひとりに対する神様からの呼びかけに心を開いて過ごしてみましょう。