校長室から

2014年09月

2014.09.30

前期終業式(2014年9月30日)

 去る9月28日、5代目の校長シスター木村すみ子が、神様の元に召されました。静かに眠るようなご様子で、天国に旅立たれたそうです。

シスター木村の時代から、学院は「週五日制と二期制」に移行しました。タワーベルで沈黙で祈る習慣、先生方による宗教朝礼、中3卒業研究の前身である「中3個人研究」、高校オリエンテーリング等、多くのことが新たに始められました。ヨヘネ・パウロホールが建てられ、マリア・ガーデンが作られたのもこの時期でした。

 私は東京にいる頃、シスター木村とご一緒に生活したことがあります。まさに「一糸乱れぬ」という言葉がふさわしい毅然とした方で、いつも決まった時間に熱心に祈っていらっしゃるお姿が印象的でした。不二聖心時代には、よくお墓や聖堂で生徒のために祈っていらした、と聞きます。ふと、シスター木村は、「不二聖心の生徒に対して、どのようなことを考えながら接していらしたのだろうか」と思い、書かれたものを読み返してみました。

 その中に、『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)に言及したものがありました。主人公は、「なぜ自分は空を飛ぶのか?それは餌をとるためだけではない。」と考えるかもめです。シスターは、このかもめの成長を引用しながら、次のように書かれていました。

 一つは、「無限の可能性について」。かもめ達の長老であるチャン先生が、ジョナサンに高度な飛行技術である瞬間移動を教える時、秘訣として挙げたこと、それは「まず、ジョナサン自身が自分のことを、限られた存在と考えることをやめること」でした。シスターご自身も、無限の可能性をもつ子供達を信じて、常に新しい目で子供たちを見つめること、そして「キリストの愛の心」で、子供たちを見守っていきたい、と書いていらっしゃいました。

 二つ目は、「“今”を乗り越えること」。子供達は「今ここで学んでいることを通して次の新しい世界を選び取っていく」のだから、目の前にある壁にまともにぶつからないであきらめたりすることがないよう導いていかねばならない、ましてや子供達があきらめる前に、まず大人があきらめるようなことがあってはならない、と書かれていました。

 後期に向けてフロンティア・スピリット(本年度学校目標)を深めていこうとする今、始業式には「新しい勇気」をもって皆が学院に集えるよう祈りながら、子供達の帰りを待ちたいと思います

2014.09.04

中高別朝礼の話(2014年9月2日、4日)

 この夏、ある方から『アンが愛した聖書のことば』という本を送って頂きました。聖書のことばが織り込まれた12の章から構成されたエッセイです。

     まず、杯の内側をきよめなさい。
そうすれば、外側もきよくなります。(マタイ23章26節)

 このような聖書のことばで始まる第3章では、グリン・ゲイブルスに来て間もなく、初対面のリンド夫人から、「赤毛とそばかす」をあからさまに批評され癇癪をおこすアンの姿が描かれています。そんなアンですが、マシュとマリラという家族とのかかわりの中で、少しずつ変化していき、ついにはリンド夫人をして「この3年の変わりようは驚きだね。とくに見てくれだ。きれいな娘になったもんだ。」と言わしめるような魅力的な娘へと変わっていきます。

 「神の愛は人を通してあらわされる。その愛を体験していくうちに、人の内側が潤ってくる。内側が変わると、不思議なように顔つきが変わる。潤いが見えるようになる。」そんなアンの美しさは、「精神の輝きが内から光を放つような美しさだ」とこの本の筆者は語っています。               

 毎年9月、生徒たちは学年ごとに「祈りの会」をもちます。日常の喧騒から離れ、自分の内面や友とのかかわり、社会の中で起こっている現実を見つめ直す一一、このような2日間を6年間繰り返すことを通して、日々の生活の中でも自分の「内側」に対する意識を深めていくことの大切さを自然に習っていくようです。毎年、この時にだけ手渡される「祈りの会ノート」は、その人だけの6年間の魂の記録です。

 生徒達は、同じく秋に行われる秋のつどい(学院際)等の動的な行事とは異なる祈りの会の意味を知っています。けれども本当にその価値を知るのは、卒業後のことかもしれません。