校長室から

2014.07.01

中高別朝礼の話(2014年6月30日、7月1日)

 今、ロンドンの聖心で、聖心会第6代総長マザー ジャネット・スチュアートの没後100年祭としてアカデミック・コンファレンスが開催されており、理事長様も出席されています。1857年に英国で生まれ、1911年に総長に選ばれたこの方は、創立者マグダレナ・ソフィア・バラ(1865年帰天)を直接にはご存知なかった最初の総長様でした。

 20世紀初頭、聖心女子学院は世界5大陸に広がり続けていました。そんな時代にあって、スチュアート総長は、マグダレナ・ソフィアから受け継がれた聖心の教育というミッションに忠実であるためには、フランスを中心としたヨーロッパの伝統に固執せず、各々の地域社会や文化、そして時代の変化に適応していかねばならないとして教育の刷新を説かれました。彼女自身、ヨーロッパから始め、船で世界一周の旅をして各地の聖心を視察され、1914年には日本にもいらしています。

 彼女は、生徒一人ひとりがもっている固有の使命について次のように語りました。

 “We must remember that each one of our children is destined for a mission in life. Neither we nor they can know what it is, but we must know and make them believe that each one has a mission in life and that she is bound to find out what it is, that there is some special work for God which will remain undone unless she does it, some place in life which no one else can fill....We must bring home to our children and to ourselves also, the responsibilities of our gifts. We must put our talents at interest not bury them in the earth and the reason is sufficient, that they are God's.” (Janet E. Stuart)

 人には、他の人がその人に代わって果たすことはできないような使命(mission)がある――、これは、よく聞く「人材」とは全く異なる発想です。人材は「有用な人」のことで、「この人がだめなら、あの人」というように入れ替え可能なものともいえるからです。Mission(使命)は、mittere(遣わす)から来た言葉です。私たちは、生まれながらにして取り換え不可能なものとして、一人ひとり神様から遣わされてここにいるということです。このことが本当にわかったら幸いだと思います。

 今日も、私たちは神様から派遣されてここにいます。なんとなく居るわけではありません。まずは今日一日、一人ひとりに対する神様からの呼びかけに心を開いて過ごしてみましょう。