シスター・先生から(宗教朝礼)

2013.01.30

2013年1月30日放送の宗教朝礼より

 おはようございます。宗教朝礼をはじめます。

今年度のクリスマス・キャロルの日、アーカイブ展示室「エリザベス・ダフ・コーナー」が披露されました。今日はこのアーカイブ室について私なりにお話しできればと思います。

アーカイブ室は、不二聖心ができるまでの流れや不二聖心が歩んできた歴史、またそれらの歴史の中で大切にされてきたご遺物などを展示して、創立者・聖マグ ダレナ・ソフィアが生徒一人ひとりに対してどのような願い・使命をもってこの学校をつくられたのか、その思いを生徒の皆さんが考える一つの部屋となってい ます。 

このアーカイブ室づくりは、準備委員会のシスター・先生たちで進めてきましたが、事務室の先生方をはじめとして多くの先生方、保護者の方や卒業生、不二聖 心で働いていらっしゃる方々のご家族、そして退職されたシスターや職員だった皆様などの特別なご協力も得て、不二聖心らしい手作りの部屋が完成しました。 私もこの展示室を作るための委員会に加えていただきましたが、与えられた仕事に悪戦苦闘したときもありました。

しかし、卒業生ではない私であっても、なぜか母校のように懐かしく感じられる不二聖心のたくさんの写真を見ては励まされ、約1年間取り組んでまいりました。

アーカイブ室には、まず聖マグダレナ・ソフィアから始まって、聖フィリピン・ドゥシェーンについて、そして外国から日本に聖心の修道院と学校ができた経 緯、また温情舎という学校から不二聖心にかわる時代など、2000年という記念の年を迎えるまでのことが展示されています。その展示物をつくるにあたっ て、私は、はじめに創立者・聖マグダレナ・ソフィア・バラのことをまとめる担当になりました。ゆかりの地に姉妹校を含めた聖心の先生方と巡礼旅行をしたこ ともあり、まとめやすいテーマかと思って始めました。しかし伝記を何冊も読み直し、一つのパネルに要点をまとめるのは大変なことでした。創立者のことだけ ではなく、聖心会という修道会の歩みについても展示しなければという思いも起こり、さらに調べてまとめていきました。これまでも何度かこうした歴史につい て学ぶ機会がありましたが、改めて、創立者の炎のような情熱に触れ、時代の動きに合わせて神様の思いを人々に伝えていった修道会・学校の歩みを改めて知る ことができました。

アーカイブ室の準備全体の山場を越えたころ、さまざまな聖具、つまり昔のお聖堂で使われていた典礼用具がショーケースに入るようになりました。私はその キャプション・説明書きを清書する仕事を担当させていただくことになりました。するとあることに気づきました。そうした聖具のほとんど、また入り口にある マリア様やヨゼフ様の御像まで上海を経由してきたものであるということです。本当にたくさんあって驚かされます。これらの聖具は、展示室が開かれる何日か 前まで、シスター方がたくさんの時間・日にちをかけて丁寧に磨き、使っていなかったときにできた長年のくすみを不二聖心開校当時の輝きまで戻してください ました。

上海を経由して不二聖心にきた多くのご遺物・聖具は私たちに何を物語っているのでしょう。第二次世界大戦後、共産主義国として国を建て直していった中国は 宗教統制をし、それによってカトリックの宣教師たちは国外に追われていきました。キリスト教はその後も今も中国に存在するものの、バチカンというカトリッ クの本部につながる教会の組織は許されなくなりました。私は、以前、自分の実家の近くにある磐田教会で長く司牧していらっしゃったフランス人の神父様か ら、日本に来る前は中国にいて弾圧を受け、さんざんな思いをして命からがら日本にやってきたというお話をうかがったことがあります。貫禄ある体格の神父様 が体を震わせて語られたときのお姿から、想像を絶するほどのひどさだったのだと思ったのを思い出します。聖心会も上海で修道院をたて、ほかの修道会ととも に学校教育の活動しておられましたが、そこを閉め、シスター方は中国以外の国、日本などに来ざるを得なくなったのでした。そのお一人がこの展示室のお名前 にあるエリザベス・ダフという、当時はマザーとお呼びしていたシスターであり、不二聖心の地に修道院ができたときの最初の院長になられた方です。アーカイ ブ室に展示されている、上海から来たという聖具一つ一つは、このようにして宣教に来られたシスター方が携えて来られました。ですから、宗教弾圧・追放のた いへんな歴史がしみこんでいるのです。私は神父様がつらかったとおっしゃっていたようなことが上海から来られたシスター方の記録にあるのか探しました。詳 しいものはまだ見つかっていません。当時のシスター方を知る方による記録には、不自由で命の保証もない日々を過ごされたはずなのに、むしろ常に明るい便り を書かれていたとあります。また、中国の人々と共に宗教的な制約を受けていたことについて、迫害と十字架によって教会への理解が深められていく尊い体験を したと、とても前向きに捉えていたようなこともありました。シスター方がどうしてそのように精神的に強かったのか。それは神様がいつも共にいてくださると いう安心感とともに、シスター方がいつも苦難の次にくるものに対しての大きな希望を持っていらっしゃったからではないかと想像しています。

私は、こうした展示物づくりをしながら、とても不思議な思いがしました。それはアーカイブ展示室にまとめられたこうした聖心の歩みと、キリスト教そのものの歩みに共通性を感じたからです。

聖心の学校はフランスで始まって約100年後、つまり1900年の頃、フランスでは教育改革が行われ、学校教育では宗教的中立性が求められるようになりま した。それまでのようにしてカトリック学校をフランスではやっていけなくなったのです。それなら仕方がないとシスター方はあきらめたのではなく、当時から 国際的に学校が広がりつつあったのに加え、もっと広く世界に修道会と学校が広がっていくことを望んだのです。しかし中国で再び、宗教統制にあうものの、や はりあきらめるのではなく、それならばと日本の新しい学校・不二聖心へと宣教師のシスター方が渡ってきたのです。

また一方、キリスト教は始まったばかりの頃、パウロをはじめとした使徒たちや当時の信徒たちが迫害を受け、命を落としました。しかしその大きな犠牲によっ て、イエス様が宣教していた地域のユダヤ・パレスチナのローカルな宗教にとどまらず、外へ外へと向かう世界的な宗教へと進化していったそうです。それは神 様の大きな愛が普遍的なものであり、一部の人にだけ受け入れられるべきものではなく、犠牲を伴っても広がることで、より多くの人を救うものであることの証 だと私は受け止めています。

そのキリスト教のありようと、聖マグダレナ・ソフィア・バラが修道会と学校を創立し、途中大きな妨げや困難があっても、シスター方の勇気と前向きな信仰、そして粘り強いご努力によってこの不二聖心の地までその思いが届けられたということに共通性を感じたのです。

アーカイブ室に展示されている『新聞不二』に、マザーダフ院長の次のようなお話があります。

『二人の囚人が牢獄の格子越しに外を眺めた。一人は泥だけを見おろし、一人は星を見上げた。』苦境にあっていつも最悪を見る悲観主義者と、すべてにおいて常によい点を見る楽観主義者のよい例であります。この楽観主義こそ私たちが培うべきもの の見方であります。星のかなたに光栄に満ちた神が在し、人々をはげまさんために星をちりばめたもうたのです。

と書かれています。星の彼方にいらっしゃる神様を信じて楽観的になることは容易なことではありません。しかし、強く信じる心を持っていた方々の深い信仰によって、今の私たちがあるのではないでしょうか。

みなさんはこれからもアーカイブ室の展示を見る機会があると思います。どうぞ、ただ昔のものはめずらしいなあとだけ思うのではなく、多くの人々の犠牲、そ してそれを乗り越えたシスター方の情熱、そしてその土台にある神様の愛が、そこに生き続けていることを感じ取ってほしいと思います。          


これで宗教朝礼を終わります。

K.S.(理科)

 参考:『日本における聖心会八十年のあゆみ一九〇八年―一九八八年』(著:三好切子)

『新聞不二第3号』