シスター・先生から(宗教朝礼)
2016.02.02
2016年1月27日放送の宗教朝礼から
1933年5月、ひとりのアメリカ人女性がドイツの学生たちに公開書簡をしたためました。ドイツの学生たちが 政権を掌握したナチスに扇動されて、ドイツ精神に反するとみなした書物を大量に燃やしたからです。燃やされた書物の中に自分の著作が含まれていることを知った女性はこう訴えます。
ドイツの学生のみなさんへ
もしあなた方が、思想というものを葬り去ることができる、とお考えなのでしたら、あなた方は歴史から何も学んではいません。これまでも、いく人もの暴君が思想を亡き者にしようとして逆に思想によって滅ぼされてきました。私の著作、そしてヨーロッパのもっともすぐれた書物を燃やすことはいくらでもできるでしょう。でも、それらの書物に込められた思想は、他の無数の方法で伝えられていき、人の精神を呼び覚ましてしまうのです。
あなた方を非寛容へと導いた悲しむべき事態については、私も知っています。であればこそ、私は、あなた方の行為が正義を欠いたものであって、まだ生まれていない次の世代に汚名を着せるような行いであることを強く非難したいのです。(中略)
あなた方がユダヤ人に対して行っている残虐行為がここアメリカで知られていない、などとゆめゆめお考えになりませんように。(後略)
このアメリカ人女性の名前は、ヘレン・ケラー。アメリカ南部アラバマ州の名門の家庭に生まれ、ごく幼いときに高熱のために視力と聴力を失い、アン・サリバン先生の導きによって障がいを克服した女性としてあまりにも有名です。私も小学生のころ伝記を読み、サリバン先生の献身的な支えとヘレン・ケラーのあくなき好奇心・向上心に感銘を受けた記憶があります。
そのヘレン・ケラーがナチスに警戒されるような諸作を書いていた、ということを私も最近まで知りませんでした。また、目と耳が不自由だった彼女が1933年という早い段階でナチスのユダヤ人迫害を察知していたのも驚きでした。一体、ヘレン・ケラーは、どういう女性だったのか。そのような疑問から今回ヘレン・ケラーの社会活動・政治活動についての本を読んでみました。
その中で知ったのは、ヘレンがニューヨークで学んだ10代のころから広く社会問題に関心を持ち続けた人だった、ということです。目の不自由な人、障がいのある人ばかりでなく、社会的に不利な立場にある人すべてに意識を向けました。たとえば、十分な賃金を得られない労働者、参政権がまだ認められていなかった女性、人種差別に苦しむ黒人。また、最も弱い人が最も苦しむことになる戦争には常に反対しました。ヘレンはイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアから新聞や雑誌を取り寄せ、フランス語やドイツ語を読むことに不自由をしなかったと言います・世界情勢についても並々ならぬ関心と知識があったのです。
ヘレンを何よりも憤らせたのは、障がい者であれ労働者であれ、社会的弱者を切り捨てて利潤追求をしていく経済の不平等なあり方でした。その不平等さをうったえた著作『暗闇から外へ』が危険思想を持つものとしてドイツで他の書物とともに燃やされてしまったのでした。
ヘレン・ケラーの社会的・政治的関心はアメリカ国内でも十分に受け入れられた訳ではありませんでした。1938年、ヘレンは、ドイツでの窮状を訴えるユダヤ人、特に目や耳の不自由なユダヤ人がアメリカに入国できるようはからうため、影響力のある隣人に手紙で訴えます。しかし、彼女の手紙は何の反応も起こしませんでした。人々は視覚障碍者の福祉に限定される問題以外は見ようともせず、聞こうともしなかったのです。
ヘレン・ケラーは視覚障がい者の生活向上を目指す活動で非常に大きな功績をあげた人です。しかし、彼女が心から追求したかった幅広い社会問題への関心は一部の友人を除いて共有されることはありませんでした。それは人々が、視覚聴覚障がい者としての彼女しか見たくなかったからだと私には感じられました。
今回ヘレン・ケラーの本を読んで、私は、障がいにとらわれず、その人の人間性を見ていくことの重要性に一層気づかされました。また、ますます混迷する現在の政界情勢をヘレンのような鋭敏な感受性で捉えていけたら、と思ったのです。
最後に、心に残ったヘレン・ケラーの言葉をひとつ、ご紹介したいと思います。
私はひとりの人間にすぎませんが、それでも一人の人間です。
何でもできる訳ではありませんが、それでもできることはあります。私にできることは喜んでやるつもりです。
C.K.(寄宿舎・社会科)