シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.02.25

2016年2月24日放送の宗教朝礼から

 これから宗教朝礼を始めます。

昨年の4月に次男が大学生になりました。大学生活の充実には課外活動での実りが大きく関わってきます。彼がどのような団体・サークルに所属するのか密かに注目していました。最終的に息子が選んだのは体育会のスキー部とライフ・セービングのサークルでした。ライフ・セービングのサークルは夏の間、海水浴客の安全を守るとともに、海上と海岸を用いたさまざまな競技の大会に参加します。このサークルに入ったのは夏の海の安全を守る仕事にやりがいを感じたためもあったでしょうが、それとともに冬のスキーに向けて夏の間も海や砂浜で自分の体を鍛えることができるというのも大きな魅力だったようです。スキーはバランスの競技です。海の上で行われる、さまざまな競技への挑戦は、体幹を鍛えバランス感覚を養うことにつながるため、スキーの技量向上にも有益だと考えたのです。
海水浴のシーズンが終わると、あとは競技の練習が活動の中心になります。息子は11月まで海に入り、海中でのトレーニングを続けました。寒風の吹く中、海で泳いでいると、釣りをしている人がその姿を見て驚いて目を丸くするんだと楽しそうに話してくれたことを今も覚えています。厳しい環境での練習に耐えられたのは、すべての努力はスキーの技術向上につながると信じていたからでした。
息子の今年の冬の最大の目標は、国体に静岡県の代表選手として出場することでした。国体予選は1月10日に岐阜県のほおのき平スキー場で予定されていました。年末も年始もスキー場で過ごし、1月に入ってからは最終調整のために長野県の車山高原スキー場で練習に励んでいました。
その最中の1月6日の午後、妻からラインで連絡が入りました。そのラインには「息子がスキーで転倒したこと」「救急車で諏訪中央病院に運ばれたこと」「複雑骨折をしてしまったらしいこと」が書かれていました。転倒した際にスキー靴がスキー板から離れず、スキーとともに左足が1回転してしまったということでした。
翌日に手術が行われ、息子は4ヶ月のリハビリを強いられることになりました。手術後の痛みに耐える様子は見ていられないほどのものでした。
怪我の状況を心配して手術の翌日にお見舞いにきてくださった方々の中にサラエボ・オリンピックのアルペンスキーの日本代表の千葉信哉選手がいらっしゃいました。息子は車山高原スキー場では千葉選手の指導を受けながら練習を続けていたのです。転倒の責任はすべて息子にあることは明白でしたが、千葉選手は指導者としてスクールに所属していた選手の怪我を気遣い、車で30分かけて諏訪の病院まで見舞いにきてくださったのです。親としてたいへん恐縮しました。
驚いたことに、千葉選手は翌日も見舞いに来てくださいました。お礼の電話をしたところ、「良い息子さんですね。息子さんの笑顔にこちらが元気づけられました」と言っていただきました。親の前では苦痛に顔をゆがめることがあると知っていても、挫折を味わっている息子に寄り添う親として、これは何よりもうれしいことばでした。
驚きは、これで終わりませんでした。千葉選手はその翌日も見舞いに来てくださったのです。しかも紙袋にいっぱいの漫画を持っての登場でした。オリンピック選手のイメージと紙袋いっぱいの漫画本は少し結びつきにくい感じもしましたが、これが何よりの息子にとっての救いとなったのです。振り払っても、振り払っても、まとわりついてくる、いまわしい記憶を忘れるには、気が紛れる漫画は何よりの贈り物だったのでしょう。後日、息子は「あの漫画がなかったら乗り切れなかったかもしれない」とつぶやいていました。
怪我の経験のないスキー選手はいません。千葉選手は、試合を目の前にして怪我をした選手にとって何がありがたい贈り物かをよく理解していたのだと思います。千葉選手は、「あなたが人にしてほしいと思うことをあなたも人にしなさい」という尊い教えの実践者でした。
冬の海での厳しいトレーニングに励んだにもかかわらず、戦わずして息子の夢は潰えました。慰める言葉は未だに見つかりませんが、怪我をしたことはマイナスだけではなかったと近くで見ていて思います。多くの人の温かさにふれつつ、怪我に向き合う息子は、自分がしてほしいと思うことを進んで人にする人間に成長するかもしれないと期待しています。
これで宗教朝礼を終わります。
                                     H.M.(国語科)