シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.02.10

2016年2月10日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。

これから宗教朝礼を始めます。
冬になると思い出すお話があります。
「わすれられないおくりもの」というお話です。
皆さんはこのお話を読んだことがありますか。
 かしこくて、いつもみんなに頼りにされているアナグマは、大変年をとっていたので、
自分の死期が近いことを悟りますが、後に残していく友達のことが気がかりでした。
 そして、ある日外出先から帰ったアナグマは、手紙を書いた後暖炉のそばの揺り椅子で夢を見ながら死んでしまうのです。残された友達はみんな悲しんで、この悲しみをどう乗り越えたらよいのかわからず、途方に暮れてしまいます。
アナグマは悲しまないようにと言っていましたが、それはとても難しいことでした。
長い冬を経て春がくると、みんな互いに行き来してはアナグマの思い出を語り合いました。
 モグラは、1枚の紙から手をつないだモグラを切り抜くことが出来ます。それを教えてくれたのもアナグマでした。
蛙はスケートが得意ですが、立派に滑れるようになるまでアナグマがずっと優しくそばについていてくれました。
狐はいつも素敵にネクタイを結んでいますが、結び方を教えてくれたのはアナグマでした。
ウサギの奥さんはお料理上手で有名ですが、初めて料理を教えてくれたのは、アナグマでした。
みんな、だれにも何かしらアナグマの思い出がありました。
 アナグマは、ひとりひとりに宝物となるような知恵や工夫を残してくれました。
みんなは、それで互いに助け合うこともできました。
 そして、最後の雪が消えた頃、アナグマが残してくれたものの豊かさで、みんなの悲しみもきえていました。
アナグマの話が出るたびに、誰かがいつも楽しい思い出を話すことができるようになったのです。
 このような内容のお話です。
アナグマが残した、わすれられないおくりものは・・・必ずしも形ある「物」だけではなく、心に残るもの、贈ってくれた相手の心が感じられるものだったのかもしれません。
 私はこの本を読み、ふと祖母を思い出しました。
 明治生まれの祖母は、仕事で忙しい母に代わって4人の孫の世話をしてくれました。
特に、身の回りのことをきちんと整えることについては、きっちりしていました。
 例えば制服のスカートは、アイロンを当てるとテカテカ光るため、プリーツをきちんと整えた後、敷き布団の下に置いて寝るときれいにプレスされると祖母は教えてくれました。
 祖母は年中行事などを大切にする人でもありました。
七草がゆをはじめ、節分、お節句、十五夜などを欠かさずしていました。子ども達が独立
した我が家でも、今なお、このような年中行事を行うのは祖母の影響かもしれません。
 お勉強の支度については、鉛筆削り器がない時代だったので、孫たちの鉛筆を小刀でせっせと削って机の上に揃え、計算や文字の練習に必要なわら半紙が足りなくなることがないように、いつも十分な量を戸棚に揃えておいてくれました。
 このような勉強に必要な道具はすべて、祖母のポケットマネーだったと聞いたのは、大人になってからのことです。
祖母は日々の生活においては、何事も次の人が使いやすいように必ず振り返りチェックすることが大切だと常々言っておりました。私は、大人になった今でもふとした瞬間に祖母の言葉を思い出します。
 そういえば、娘が祖母と同じことをしているのを以前みかけました。
子供に、鉛筆を削ったり計算用紙を用意したりしているのを見て、タイムスリップしたような気持ちになりました。
 幼い頃の孫は、手作りの洋服を着て、段ボールとひもで作ったクレーン車でよく遊んでいました。その姿を見て、若かりし頃、自分も子供達に洋服を縫ったり、おもちゃを作ったりしていたことを思い出しました。そして、それは私の母もやっていたことでした。
 私の子供の頃の洋服のほとんどは母の手作りでした。忙しい母が洋服を作ることが出来るのは夜中だけでしたが、4人の子供の洋服を時間を見つけては何枚も縫ってくれました。子供服の雑誌で見たモダンなデザインの洋服を着せたかったのでしょう!私は、母が作ってくれるそんな洋服が大好きでした。
 とても些細なことかもしれませんが、その家族に代々受け継がれているもの、毎年やってくる行事から日常の些細な習慣まで・・・・・。
 そう言うものが忘れられない贈り物になっているのかもしれない、そう思いました。
 もうすぐ高校3年生が卒業します。
みなさんは、上級生から贈られた 忘れられない贈り物、学校生活の中での忘れられない贈り物はありますか?
 皆さんを支えてくれたご家族や友人、知人からの 忘れられない贈り物が思い浮かびますか?
 私のように、随分、後になってから気づくような贈り物もあるかもしれません。
それは、贈られたその時はとても些細なことで,気づかなかったり、小さなことで、見過ごしていたり・・・・。
 でも、ずっと、後になって、ただの日常のひとこまが、ある日突然、宝物のような思い出となって目の前にあらわれ、皆さんにとっての 忘れられない贈り物 となる日が訪れるかもしれません。
 これで、宗教朝礼を終わります。
                                             S.I.(家庭科)