シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.06.08

2016年6月8日放送の宗教朝礼から

 昨年の7月、夏休み前のことです。私は、交通事故に遭いました。大雨警報が発令され、学校は休校になった日の朝のことでした。バケツをひっくり返したようなという表現がピンとくるほどの大雨でした。車のワイパーを高速にしないと前が見にくい中、緊張しながら走行し、信号待ちをしている車の後ろにつき停車をしました。その直後、後ろからのものすごい衝撃がありました。眼球が飛び出てしまったのではないかというぐらい衝撃です。何が起こったかわからないまま、しばらく動けませんでした。しばらくして、後方を確認すると、エアバッグが出ている車があり、私の車の後方は、その車がはまったかのような凹みのある状態になっていました。その後、この事故の原因は後の車を運転されていた方の、脇見運転だったとのことでした。この事故での怪我は、幸いにも命にかかわるようなことはなく、頸椎の捻挫、むちうちと診断されました。しかしこれは、見た目には分からない症状があり、この痛みと共に、リハビリに通う生活をしてきました。今はだいぶ改善されましたが、本当に辛い1年でした。今は、私の事を申し上げましたが、この事故には、加害者となった方がいます。何度かお見舞いのお電話をいただいたのですが、この方も、私と同じような症状に苦しみ、お仕事を長期でお休みしないといけない状況だったそうです。痛いなぁ、辛いなぁと感じるとき、同じように痛いのだろうなぁ、辛いのだろうなぁと思う1年でもありました。もしかしたら、自分が逆の立場だったかもしれません。そう考えると、もっと辛かっただろうと思うのです。

警察庁交通局のデータによると、昨年度の全国の交通事故発生件数は53万6899件、そのうち死亡事故4028件、死傷者数は67万140人そのうち死者数は4117人だったそうです。私の今回の事故も交通事故件数の1なのですが、毎年多くの方が事故に遭い、しなくてもいいはずの辛い経験をされていることを実感します。
事故というのは、思いがけずに起こった悪い出来事で、ほんの一瞬の出来事なのです。みなさんは、このような場面に遭遇したことはありますか。事故に繋がりそうな、ひやりとした瞬間はありませんか。例えば、自転車に乗っているときに何かにぶつかりそうになってしまったとか、歩いているときに転びそうになってしまったとか。人が巻き起こしてしまった事故ですから何らかの原因があるわけです。思いがけずとはいえ、注意できることもあるのではないかと思います。自分の行動を今一度、ふりかえり正せるところは直していきたいものです。
 今年はオリンピック・パラリンピックが開催されます。パラリンピックの始まりはイギリスのチャーチル首相らが、第二次世界大戦の負傷者の兵士の治療と社会復帰を目的に、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科を開設したことにあったそうです。スポーツを治療に取り入れる方法から発展し続け、世界最高峰の障がい者スポーツ大会へとなったそうです。パラリンピックの選手の中には交通事故などで障害を抱えることになってしまった方もいらっしゃいます。今の自分の状態を受け入れ、自分のできる限界まで戦うという強い意志と精神力は、計り知れないものがあります。どんな状況であるにせよ、自分自身との戦いに勝ち、前に進んでいくこと、それが自分の人生における確実な歩みなのだと思います。オリンピック・パラリンピックを観戦するときに、ただ勝敗だけの感動ではなく、選手の方々の背景などから違った角度での感動の仕方もあるように思います。
神様は私たちにいつも平等な愛を与えてくださいます。それと同じように、試練も与えてくださいます。しかし、その人が耐えることのできない試練は与えられません。辛いことがあったときには、何かを考えなさいというメッセージであり、そしてこの試練は自分にとって経験すべきことなのだと受け止めて乗り越えていくのです。何かを失ったときにも、他の大切な物を見つけることができるのだと思います。この経験こそが自分を大きくする何かであり、自分の幸せに繋がるのだと考えます。様々な出来事に感謝の気持ちを忘れずに生活していきたいと、改めて考えることができました。
 さて、昨日までの中間試験も終わり、みなさんは、おそらく自分自身の限界まで勉学に打ち込んだのではないでしょうか。これもまた、試練であり、自分を大きくしてくれる成長の場となるのでしょう。自分の今の目標、少し先の目標、だいぶ先の将来の目標、様々な山を意識して生活をし、達成した喜びが感じられるような日々としていきたいですね。これで宗教朝礼を終わります。
A.S.(数学科)