シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.09.07

2016年9月7日放送の宗教朝礼より

おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
皆さんは、夏休みをどのように過ごしたでしょうか。人との出会い、本との出会い、いろいろな経験などにより大きく成長したのではないでしょうか。
今日は、私が感銘を受けたあるご夫婦のお話をしたいと思います。

それは卒業生の御主人が昨年お亡くなりになられたときのことです。
お通夜に参列させていただいた時、神父様から伺ったお話をしたいと思います。
卒業生の御主人は、おととしガンが見つかり、昨年の2月から入院生活をなさっていました。
卒業生自身は、聖心会のシスターと一緒に洗礼の準備を以前からしてこられていたそうです。そして、彼女に洗礼の許可が下りた時、御主人が自分も一緒に洗礼を受けたいと希望なさったそうです。
すでに、病気がわかり闘病生活をしていた時です。なぜ、洗礼をご主人が受けたいと言われたと思いますか。普通だったら、洗礼を受け、奇跡を望むのではないでしょうか。でも、そうではなかったのです。
御主人は「カトリックに入信したのは、奇跡を望んだのではなく、自分が生まれてから今まで奇跡の中で生きていることを見つけたからです。」と言われたそうです。延命を望んで入信したのではないということだったのです。毎日の生活が奇跡の連続だったといえるご主人は何と素敵な方なのでしょう。
周りの人との出会い、経験、自分を取り巻くすべてのことに喜びを見出し、感謝していたことがわかります。ご主人の洗礼名は「アッシジのフランシスコ」。皆さんが今月お祈りしている「平和の祈り」に由来する聖人です。これも、人柄を表す洗礼名だと言えます。
残された命を何に使うのか?何をして過ごすのか?悔いなく過ごすためにはどうしたらよいのか?
そう考えられたのではないでしょうか。
入院中も、神父様がお見舞いに行くとキリスト教のことをいろいろと質問をなさったり、もっと知りたいから本を紹介してほしいと頼んだりしていたそうです。神父様がすすめられた本を熱心に、闘病中で無理ができない中だったのに、病と闘いながら少しずつ読んでいらしたということです。
今自分ができることを精一杯、知的探求心を忘れずに、最後まで自分らしく過ごされた様子が伝わってきます。奥様である彼女もご主人のことを支え大切に思い、慈しまれ生活していたこともわかりました。本当に素敵な御夫婦です。
ご主人は闘病中も自分の信念と希望を失わず前向きに頑張ってきました。そして、支えてくださった神父様をはじめ、周りの方々への感謝とお祈りも忘れませんでした。
どんな状況にあっても、自分のことだけでなく生かされている喜び、他者への感謝を忘れないことが本当に大切なのだと改めて感じさせられました。
そんな、仲睦まじいお二人でしたが、静かにご主人は神様のもとに召されたのです。
ご家族は最愛の人を失いましたが、心安らかに天国に見送られたのです。
この世の命は限りあるものです。限られた命だからこそ、それぞれの人が自分の命も、他の人の命も大切にしなくてはいけないのです。
また苦しいと思うことも、神様はその人のそばでいつも見守り、寄り添ってくださっています。できないとあきらめずに、精一杯最後まで惜しみなく努力することが大切なのです。自分があきらめた時、限界が訪れます。無限の可能性を信じて皆さんには進んでいってほしいと思います。

 私が好きな詩に、マーガレット・F・パワーズの「あしあと」があります。知っている方も多いと思います。

「あしあと」

ある夜、私は夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

私たちは、毎日失敗や反省の連続なのかもしれません。でも、実は素晴らしい奇跡の連続なのだと思います。私たちの考え方や受けとり方次第。どう考え、受けとめるかで、変わってくるのではないでしょうか。

今こそ「Climb Every Mauntain」

前向きに希望をもって、あきらめず、日々周りへの感謝を忘れないで生活してください。

これで、宗教朝礼を終わりにします。

Y.H.(保健体育科)