シスター・先生から(宗教朝礼)

2016.10.19

2016年10月19日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼をはじめます。

不二聖心の図書館には毎日5種類の新聞が届きます。私の1日はその新聞を図書館と職員室の棚に並べることから始まります。
みなさんは普段新聞を読む習慣がありますか。
新聞が、現在の形に最も近い状態で発行されるようになったのは、今から100年以上も前の明治初期だそうです。現在全国紙朝刊は、約40面でおよそ30万字、文庫本2冊分ほどの情報が朝刊として紙面で発行されています。近年はインターネット配信もされていますが、今でも紙で発行され続ける理由や魅力が新聞にはあるように思います。
小学生の頃「何でもよいから20日間継続して行う」という宿題が夏休みに出された事がありました。ソウルオリンピック開催年だったこともあり、オリンピックの開催期間がその20日間に近いと考え、私は関連する新聞記事をスクラップすることにしました。
そして毎日必ず1つの記事を選び、内容をまとめ自分の感想を書くことにチャレンジしました。新聞を読むことにも慣れていなかったため毎日の作業は大変で、ページをめくりながら違う記事が気になり横道にそれてしまったりと、とても苦労した思い出が新聞にはあります。しかし今考えると、関連する言葉やピンポイントの記事が直接検索できるインターネットとは違い、紙面を広げれば否応なしに様々な情報が目に飛び込んでくる、つまり自分の求めていることプラスアルファを知ることができる紙の新聞の魅力がそこにあったように思います。インターネットでは叶わない紙面形態が今も変わらず現在まで読み継がれている、それも新聞の魅力の一つではないでしょうか。
「温故知新」という言葉があります。
これは今から2000年以上前に中国に儒教を広めた孔子が弟子たちとの問答を記した書物『論語』に書かれている言葉です。古きをたずねて新しきを知る、もしくは古きを温めて新しきを知るとも言われますが、広辞苑によると、「温故知新」とは、昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見識を得ることを意味すると書かれています。昔からずっと続いてきていることをしっかり見つめ判断し、なぜ続けられてきたのかを考える力をつければ、その先にどうあるべきかがわかってくる、とも言えるように思います。こう考えると、便利で早く情報が得られるインターネットの普及と同時に、新聞が紙であり続けることの意味も「温故知新」という言葉から知ることができたような気がします。
「Golden Fanfare」というスローガンを掲げ、約2週間後に迫った「秋のつどい」も50年目を迎える伝統ある不二聖心の行事です。この秋のつどいについても少し歴史を遡ってみると今のような秋のつどいとなる前には「恩師の会」という行事が存在し「秋のつどい」の前身であったようです。
こんな記事を見つけました。
「5月7日(日)恩師の会。午後一時より折からの好天下に自衛隊富士学校のブラスバンドを迎えて、ガーデン・パーテーを行った。来校されたのは主に幼稚園、小・中学の先生方。招待者である生徒の案内により、教室や八十八夜も間近い校内の茶園などをご覧いただいた。この催しは卒業生(ド・シェーン会)主催によるもので、本学院では最初の試みであった」(新聞「不二」第1号昭和36年7月12日より引用)
秋のつどいが「恩師の会」と呼ばれていた頃は、不二聖心に入学する前にお世話になった幼稚園・小学校・中学校の先生方にご案内して学院を知っていただくような催しであったことが当時の記事より分かります。同時に来校くださった先生方からの感想のお手紙も記事として紹介されていました。この記録は、1961年発行の新聞「不二」の第1号に掲載されていましたので、新聞「不二」も同じ年に誕生したことになります。1961年、今から55年前の出来事です。
「恩師の会」が数年行われた後に、現在の「秋のつどい」という形が誕生したわけです。やがて秋のつどいは「生徒主体の研究発表の場」に変化し、恩師をお招きして自分たちの成長を見ていただく、そんな行事となり現在に受け継がれています。秋のつどいが始まって最初の頃は、「秋のつどい―芸術祭―」「秋のつどい―文化祭―」というネーミングで交互に催され、当時の不二聖心に小学校があったことも関係して、小学生から大人までが楽しめる様々な工夫がされていたと記録されています。プログラムの形や発表の内容は少しずつ試行錯誤し変化してきている部分はありますが、50年の間、いわゆる文化祭としてではなく「秋のつどい」として継続されてきたこと、そこに不二聖心としての伝統が凝縮されているように感じられます。
毎年11月3日の秋のつどいには、恩師の先生方、卒業生の方々、保護者の皆様、地域の方々など、様々な方が学院にお越しくださいます。これは私たちのまわりの様々なことについて共通することですが、どんな小さな出来事でも、そこにはそれまで歩んできた歴史や背景が必ずあります。それを意識し知ることで、自分の取り組み方や感じ方に少し変化が生じるように思います。ただの行事として「秋のつどい」を迎えるのではなく、一人ひとりが自分の役割や思いを持って不二を訪ねてくださるお客様をお迎えできると、よりよい50年目の節目の日となると思います。
意味のあることには、歴史が必ずあり、そしてその歴史を少しでも知ること、知ろうとすることで、同じ行いにも深みがでるように思います。
今日この時間から、またあなたの歴史は積み重なってきます。
一つひとつの出来事があなたを輝かせる実となりますように。
これで宗教朝礼を終わります。
A.T.(図書館)