シスター・先生から(宗教朝礼)

2017.11.22

2017年11月22日放送の宗教朝礼から

   先日、母から夏に家族が集まった時の写真が送られてきました。私の実家では夏と冬に家族全員が集まる日が一日ずつあります。父も母も仕事を持ち、2人の弟も私もそれぞれの場所で生活するようになり、お正月と夏に、一年の中でその二日だけが家族全員で集まることのできる貴重な時間となっています。だからと言って特別何かするわけでもなく、たわいもない会話、大勢での食事、甥っ子や姪っ子と工作をしたり外で遊んだり、お墓の掃除に出かけたりと、皆で日常を過ごす、そんな夏の一日を過ごしています。

  今年は偶然祖父の命日に集まることができ、アルバムを見たり懐かしい話もしながら過ごしました。
甥や姪が、家の前の畑で虫かごと網を持って楽しそうに駆け回る姿を見ながら、かつてこの畑に大きなかごを持って弟とよく収穫した時のことを思い出しました。夏場にはナスやトマト、キュウリにピーマン、枝豆、エンドウ、スイカやウリやトウモロコシなど、当時、祖父が愛情を込めて育ててくれたものを、わくわくしながら採りに通ったことを覚えています。
  祖父が亡くなってからは、祖母が規模を縮小して野菜などを作っていましたが、今では畑は無くなり草が生茂った広場となり甥や姪の絶好の遊び場となっています。生前の祖父からは、夜になると空を眺めて星座のことを教えてもらったり、草花を見つけては祖父の古い本棚から背表紙も薄くなった植物図鑑を出して追加の解説をしてもらうこともしばしばありました。その他にも、竹馬を作ってくれたり、書道を教えてくれたりと、私の知的好奇心をいっぱい引き出してくれたのは祖父でした。物静かでいつも微笑みながら頷き見守ってくれている祖父の姿は、今でもしっかりと目に焼きついています。
  退職後の祖父は、趣味の園芸と共に竹筆づくりに没頭し自分の作った筆で書をしたためるなど、穏やかに素敵な年の取り方をしているように思えていました。そんな病気知らずの祖父でしたが、数日間高熱で寝込んだ後、運ばれた病院で息を引き取りました。この時の私は周りも驚くほど取り乱してしまい、あまりにも突然訪れた事態を受け容れることができず、葬儀が終わるまでの記憶がほとんどありません。葬儀が終わった後も、ただただ悲しく、現実が理解できず、きちんとお別れできていないような気持ちで何年も行き場のない思いを抱えて過ごしました。意地を張ってしまったり、素直になれなかったり、人間的にまだまだ成長ができていなかった私は、言葉に言い表すことができないような自分の未熟さに後悔ばかりの毎日が続きました。祖父は「礼儀正しくあること」と「言い訳をしないこと」特にこの二つについては厳しい人でしたが、物腰や雰囲気は優しく温かく、とても深みのある愛情深い人で、尊敬できる自慢のおじいちゃんでした。
  「時間薬(ときぐすり)」という言葉がありますが、祖父の死から20年近く時を過ごし、
私も今は祖父の事を心穏やかに思い出すことが出来るようになりました。もし祖父が生きていたら…と思ってしまうこともありますが、時間薬によって祖父の死を当時とは違う気持ちで受け止めることが出来るようになったと思っています。そして自分にとって大切な人との別れを経験したことで今のこの日々が当たり前のものではないのだということを考えられるようになりました。そう思えるようになったのは祖父の死から何年も経過し、自分がもう子供という年齢で無くなってからのことです。祖父がいつも近くで見守っていてくれる、今はそんな風に思っています。何年もの時の流れがあって、ようやく私は今の心境に至ることができました。
  11月は死者の月です。
  この時期、ミサを通して私は特に強く祖父のことを思い起こします。そして同時に、日ごろ忘れがちなちょっとした心掛けや自分を取り巻く環境への感謝を思い出すきっかけをいただいています。今を当たり前のことだとしてしまう事で日々の言葉も態度も時間の過ごし方もつい粗末なものにしてしまいがちですが、、誰しも明日はどうなるのかわかりません。私の、365日分の2となってしまった家族との時間も、次を同じように迎えられる約束はされていません。今の幸せに気づき、この日常に感謝することを忘れないように、過ごしていきたいものです。
私が数年前にであい、大変感銘を受けた河野進さんの詩をご紹介して宗教朝礼を終わりにしたいと思います。
「一日」
不平の百日より 感謝の一日を
憎しみの百日より 愛の一日を
失望の百日より 希望の一日を
悪口の百日より ほめる一日を
戦争の百日より 平和の一日を
罪の百日より 赦された一日を
悪魔の百日より 天使の一日を
これで宗教朝礼を終わります。
A.T.(図書館)