シスター・先生から(宗教朝礼)

2018.11.14

2018年11月14日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。宗教朝礼を始めます。

 昨年の11月から一年かけて、わたくしたち聖心ファミリーは聖フィリピン・ドゥシェーン渡米宣教200年をお祝いし、祈りの日々を過ごしてきました。不二聖心では奉仕の日、秋のつどいの行事でも、聖フィリピン・ドゥシェーンのことを意識して活動してきました。
 私は洗礼を受けたときに、フィリピン・ドゥシェーンの霊名をいただきました。何か新しいことに挑戦しなくてはならなくなったときにいつも、聖フィリピン・ドゥシェーンを思い出しています。
 そもそも幼稚園から大学まで公立で育ったわたくしが不二聖心で働いていることも、自分にとって未知の世界への挑戦でしたので、洗礼を受ける前、いつも不二聖心に来たときに不安に感じていた自分を支えてくださった神様や周りの人のことを思い起こし、お祈りしていたものです。
 最近は、学校で日々生じる問題に向かうとき、また日本の教育改革に向けて外部で行われている研修に参加するとき、そこで身につけたことを授業に取り入れて、生徒たちの様子を見たりするときなどです。最近の研修会では、初めて出会う他の学校の先生たちとグループワークを終日行ったりします。人見知りをする私にとってそのような形式の研修は厳しいことで、心で聖フィリピン・ドゥシェーン私のためにお祈りくださいとつぶやいたりしています。また研修で得たことを使って授業をしても、生徒の反応が今ひとつだったりすると、高校校舎にある聖フィリピン・ドゥシェーンのご像の前で生徒の将来にとって何が必要か教えてくださいと祈りの心で眺めたりしています。
 新しいことに取り組むとき、慣れていても失敗が許されないときには、不安やそれを乗り越える勇気、応援が必要になります。フィリピン・ドゥシェーンと言えば「Frontier Spirit」という言葉が真っ先に浮かびますが、「不安」というものはなかったのだろうかと思います。
 私はこの夏休み、この記念の年に姉妹校の先生方と、聖心ゆかりのヨーロッパの地を訪ねる巡礼に参加しました。フィリピン・ドゥシェーンはアメリカ大陸への宣教を小さな頃から願い、その思いを温め、聖心会に入り何年かかけて許可をいただき、いざ1818年に出発します。当時パリで生活していたという修道院のあったという地域や、船に乗る西岸のボルドーに向けて出発したというポスト通りという道路にも行くことができました。不二聖心からひとりその巡礼に参加して心細かったこともあり、フィリピン・ドゥシェーンには一抹の不安もなかったのだろうかと想像したものの、わかりませんでした。日本に帰ったらもう一度伝記を読もうという思いにいたりいくつか読んでみました。
 200年前に外国に行くというのは、今とは比べものにならないくらい不便で、準備には何ヶ月もかかったそうですが、そうした荷物を作るような物理的な苦労と同時に精神的な苦痛もあったようです。院長をするようにマグダレナ・ソフィアに命じられたプレッシャー、新しい土地に行きたいと願う気持ちもある一方で、愛着をもって接してきた場所や人々との別れに際して感じた淋しさなど、整理するのも大変な複雑な思いを抱いていたとのことです。そうした思いが募るごとに、ひたすら神様に身を委ねて祈っていたフィリピン・ドゥシェーン。船に乗ってアメリカに渡った時も、アメリカで宣教活動を展開したときも困難があまりにも多く、失敗をおそれ、またおかしてしまった失敗で悩み、周りのシスター方がとても心配したようです。本人は神様は自分に対して失敗を通して身を献げることを望んでいるのでは?と思わずにはいられないほど、生涯を通して苦しみを持ち、いつも自分自身の弱さと向き合っていたことが書かれています。 しかしながら、小さいときから貧しい人々に尽くしてきたフィリピン・ドゥシェーンは、常に周りのために喜んで行動し、新しいことへの原動力を養っていたようにも思えます。失敗の苦しみの中にいながらも、ロッキー山脈の向こう、また中国などアジアへの宣教の夢を語ることもあり、希望を忘れなかったところもあったそうです。
 海を越えて修道院や学校を建て、先住民の人々と心を合わせて過ごし尊敬されていた、そんな偉大な業績をなさったから聖人なのだと思ってしまいますが、こうしてご本人はいつも不安や苦しみを抱える小さな自分自身と向き合い、神様に祈っていたというのです。偉大な聖女ではありますが、小心者の私にとってやはり親しみを感じてしまいます。
 このような聖フィリピン・ドゥシェーンの歩みを知ることで、今度の祝日を迎えるにあたり、私は次のように心に留めておきたいと思います。
 行動力という目に見えるものの内側で、聖フィリピン・ドゥシェーンがいつも自分の心の中の恐れと向き合い、神様に身を委ねる謙虚さを持っていたこと。不安を持ちながらも新しい人との出会いを通して、愛をはたらかせていたこと。そして神様に自分を差し出すことでいつも前進したことです。
 私たちは誰しも、失敗を避け、困難を上手に乗り越えていくことで幸せに人生を送りたいと願っています。皆さんも、誠実に頑張ろうと思っていても失敗したり、自分が言い出して始めたことなのにうまくいかなかったりすることが今までありませんでしたか? そういうときこそ、この聖女の生き方を思い起こすことが心の支えになるように思います。
 地上で多くの苦しみと共に歩まれた聖フィリピン・ドゥシェーンに、天国においてもさらに私たちの苦しみをきいてくださいとお願いするのは申し訳ないと思いつつ、これからも聖フィリピン・ドゥシェーンに支えていただきましょう。
K.S.(理科)