シスター・先生から(宗教朝礼)

2018.12.05

2018年12月5日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

 148cm。2つに分けて結んだ髪。小さな体に大きめの新しい制服。中学1年生の私です。
みなさんと同じように聖心の学校の門をくぐった春の日を昨日のように思い出します。毎日友達が増えて、毎日に新しい経験と学びがあって、当時の私を“飛び跳ねるように学校に行っていた”と今でも母が話すのは、きっと文字通りだったのだろうと思います。
 「奉仕」という言葉。恥ずかしながら、中学入学と同時に学んだ言葉です。どういういきさつだったかよく覚えていませんが、「奉仕」の意味も分からずに係決めで「奉仕部」に入り、しかしその後もずっと希望して続けていくことになった係でした。こうして私の聖心生としての第一歩は始まりました。
 全校朝礼で色々な奉仕活動のことを話してくれたり、自分たちに出来ることを考えながら私たちに呼びかける上級生の姿はいつもとても印象的でした。当たり前に過ごしている目の前の生活しか知らなかった自分。私が知らなかったこと、考えたことがなかったことを話してくれる上級生の話にたくさんの気づきと刺激を与えられました。心から出てくる言葉だったからこそ、私たちのこころの深くに響いたのだと思います。私もいつかあんな上級生のようになりたいと思ったものでした。クリスマスが近づくころ、釜ヶ崎という街に暮らす日雇い労働者の方々が冬の寒さを凌げるようにとマフラーを編んだり、やがて高校生、大学生になって、釜ヶ崎に足を運ぶようになったのも、上級生のお話がきっかけでした。
姉妹校にも節約弁当の日があり、私の学校では「おにぎり弁当」と呼んでいました。みんなでおにぎりを食べ、おかず代を寄付することを重ねる中で、おなかはすくけれど、どこかで誰かの幸せのために役に立てているのだと思うと、うれしさや喜びは少しずつ大きくなっていきました。
 しかし、そのうれしさや喜びは、だんだんと苦しさやもどかしさが伴うようになりました。おにぎり弁当のおかず代だけでよいのだろうか、自分はまだ中学生で大人のようにお金を持っていないし、でも世界にはお腹を空かせている人もいるのに、何もできないなんて…。自分はなんて無力なのだろう。
私に出来ることは限られていることでしたが、やがて2つのことを頑張ろうと思うようになりました。ひとつは、クラブのあとに楽しみにして飲んでいた80円のコーヒー牛乳を我慢して、代わりに水を飲むことでした。もうひとつは、友達と遊びに行ったり、校外学習に行ったりした帰りなどに、乗り換えの駅から3駅分、線路に沿ったまっすぐな道を家まで歩くことでした。電車に乗ると5、6分ですが、歩くと数十分かかります。でも、百数十円のわずかな電車賃であっても、誰かの幸せにつながるかもしれないと思うと、自分でもできることがあるのだと、私の小さな喜びとなりました。
 その後、残念なことに、私は父の転勤で別の学校へと転校することになりました。新しい学校では1クラスごと、フィリピンに里子がいました。わたしたちが毎月一人100円を寄付することによって、里子が1ヶ月勉強することができます。「100円集めます。」HRで係の生徒がそう言って、封筒を持って教室をまわり、みんながその中に100円を入れます。―それは何気ない光景ではありましたが、むなしいような、悲しいような、言葉にできない気持ちが私の中にあったのでした。「毎月100円分、何かを我慢しよう。」やがてそのように思うようになりました。今思えば、自分の100円に、フィリピンで勉強している里子への思いや祈りが足りないと感じていたのだと思います。それは、まぎれもなくおにぎり弁当から教えられたこころだったのだと思います。
 高校を卒業して大学生になってからも、友人と8人で、ひとり500円ずつ出し合い、それまで支援をしていた里子のサポートをその後も続けていくことにしました。社会人となってからは、一人でサポートできるようになり、いまはライサちゃんという6年生の女の子の成長をうれしく見守っています。先日、ライサちゃんの成績と成長記録が送られてきて、クラスでいちばん協力的な生徒として表彰されたという嬉しい報告を受けました。写真も笑顔でとても元気そうでした。今の生活は苦しいかもしれないけれど、勉強を続けて社会に出て、よりよい生活、幸せな未来がライサちゃんを待っているといいなと心から願っています。
 私は今でも思うことがあります。もし、ずっと聖心の学校で学び続けられていたとしたら、私にはどんな違う将来が待っていたのだろう、と。でも、神様は、その後の私の未来に、聖心で学ぶこどもたちがどのように成長していくかということを教室にいるみなさんの姿を通して見せてくださり、そんなみなさんと共に聖心の学校で学び、歩み続ける幸せを私に与えてくださいました。そして、今年もクリスマスを迎える喜びをみなさんと共にできることも嬉しく思います。
 12月に入り、プラクティスが始まり、クリスマスが近づいてきました。みなさんが心をこめて作ったクリスマスカードを本当に楽しみに待っている方々がいらっしゃいます。みなさんが集めたほっかいろや食べ物で、凍える冬に路上で体を温め、おなかを満たす方々がいらっしゃいます。奉仕先でみなさんの笑顔や、歌や劇、お掃除作業などを心待ちにしてくださっている方々がいらっしゃいます。幼子イエス様は、その小さな体で人々に大きな喜びをお与えになりました。クリスマスを迎えるよろこびをみなさん自身が感じながら、そして、たとえ大きなことはできないと感じていたとしても、みなさん一人ひとりの手と心で、たくさんの方々に喜びや幸せを伝えて、今年もクリスマスまでの一日一日を過ごしてほしいと願っています。

 これで宗教朝礼を終わります。

Y.Y.(英語科)