シスター・先生から(宗教朝礼)

2019.02.13

2019年2月13日放送の宗教朝礼

 皆さんは、「新見南吉」という大正生まれの児童文学作家をご存知でしょうか。新見南吉は、愛知県出身で、結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くないのですが、彼の代表作である「ごん狐」や「手袋を買いに」などを絵本で読んだことがある人も多いのではないでしょうか。

今日は、彼の作品の一つである「デンデンムシノカナシミ」というお話を紹介したいと思います。
イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ
カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
 コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
 デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ
カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」
ト ハジメノデンデンムシガ ハナシマシタ。
 スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」
 ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ
トコロヘ イキマシタ。
 スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス」
 カウシテ、オトモダチヲ ジュンジュンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ
オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。
 トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ ワタシノ
カナシミヲ コラヘテ イカナキャ ナラナイ」
 ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。
私がこの作品を知るようになったきっかけは、日本医大特任教授で心療内科医の海原純子さんという方が毎日新聞で連載している「新・心のサプリ」というコーナーでした。先ほど読んだお話しと少し重複するところがありますが、彼女の記事をそのまま読みたいと思います。
新見南吉の創作童話に「でんでんむしのかなしみ」という作品がある。1935年に書かれたこの童話は、後に美智子皇后がインドのニューデリーで開かれた国際児童図書評議会の基調講演で紹介されたことで注目されるようになり、ご存じの方も多いと思う。内容は次の通りである。
ある日、一匹のでんでん虫は、自分が背負っている殻には悲しみがいっぱいつまっていることに気づき、とても生きていけないと思って、別のでんでん虫のところへ相談にいく。ところがそのでんでん虫も、自分も同様に自分の殻にはたくさんの悲しみがつまっているという。
そこで、でんでん虫はまた別のでんでん虫のところで同じ話をするのだが、そこで、同じ答え、つまり自分の殻にも悲しみがいっぱいつまっているという返事がかえってくる。ついに、でんでん虫はみな同じように、それぞれ背負っている殻には悲しみがつまっていることに気づく、というものである。
困難なことに出合うと自分だけがつらい思いをしていると感じるのは当然だろう。格別に大変なことに出合わなくても、人が羨ましく感じられるのは私たちにとって最も大きなストレスになる。
周りの人はみないい環境のなかで元気にやっているようにみえるものだ。私が前述のでんでん虫のように「みな、それぞれ大変だ」ということに気づいたのは、20歳ちょっと前のことである。近所に有名企業経営者の息子さんがいて、明るく元気で親切なことで評判だった。成績もよく、羨ましいなあ、と思っていたが、後にその方の父親である社長はがんで苦しんでおり、息子さんは実子ではなく、幼いころ両親を亡くし、ひきとられていたことを知った。また、経済的にも苦境だったときき、驚いた。明るくみえる「みかけ」だけで判断してはいけないと思ったのは、それが最初である。
人はみな、それぞれの重荷を負っている。あたりまえのことなのに、それにきづきにくい。私は仕事で多くの方の内面とかかわっている。すると、一見本当に明るく元気に見える方が非常に落ち込んでおり悩んでいる場面にしじゅう出合うのである。
というような記事で、彼女はこのコラムを格差社会への警鐘として結んでいるのですが、それ以外にも私がこのコラムから学んだことは色々ありました。
まず、人は誰でも重荷を背負っているということです。私だけがつらいのではなく、明るく幸せそうに見える他の人にも、それぞれの悲しみや辛さがあるのだと思いいたったとき、自身の重荷を背負いながらも、話を聞き、励まし、手助けしてくれる人の親切や好意が、いっそう貴くありがたいものに感じられるようになりました。
次に、私の辛さや悲しみは、私自身が背負っていかなければならないもので、他の誰もこの問題を解決することはできないのだということです。しかしこれは、誰にも相談してはいけないということではありません。私が不安や辛さにつぶされそうになった時、心配して話を聞いて下さった方々に、救われました。問題を解決するのは自分だけれども、苦しい気持ちや辛い気持ちを、誰かが「そうか、そうなんだね」とただただ共感して聞いてくれるだけで、殻の中に満ちていた悲しみが抜けていくのを感じました。また、どんな辛さや悲しみも、雪が少しずつ降り積もって地面を覆い隠すように、時が少しずつその痛みを癒してくれることを知りました。
私たちが背負っている殻は、色々な人生経験を通して、より大きく、より丈夫になるのだと思います。また、時によって、その中の悲しみは、多かったり少なかったりするでしょう。皆さんの周りにも、殻の中に悲しみや辛さが一杯になって、押しつぶされそうになっている人はいませんか。同じでんでん虫同士、いたわり合い、支え合って、共に少しでも楽に生きられるよう、一緒にがんばりませんか。また、今週ご卒業される高校三年生の皆さん、これからの人生で色々な経験をすることと思いますが、皆さんの荷が少しでも軽いことを、また一時的には重くても再び軽くなるまで踏ん張って背負い続けられますよう、心からお祈りしております。
                                J.N.(英語科)