シスター・先生から(宗教朝礼)

2019.04.24

2019年4月24日放送の宗教朝礼から

  おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

 新年度が始まり、もうすぐ1ヶ月が立ちますね。体育大会の準備も早速始まりました。特に高校3年生は朝も昼も放課後も、ダンスの練習や話し合いをしていて、本当に忙しい日々だと思います。やらなくてはいけないことが沢山あって、心に余裕がなくなった時、思い出すお話があります。登場人物の中で誰が忙しいときの自分に近いか考えながら聞いてください。
 むかしむかしのお話です。あるとき、一人の旅人が外で作業をしている人に話しかけました。
「あなたはどんな仕事をしているのですか」
「この大きな石を切り出して、言いつけられたように組み合わせているんだが、暑さはひどいし、汗だくだ。それに背中が痛くてね。おまけに退屈でうんざりしているんだよ。きついばかりで、意味もないこんな仕事、引き受けなければよかったよ」
旅人は二人目の労働者にも聞きました。
「あなたはどんな仕事をしているのですか」
「妻と子どもを養わなくちゃいけないのでね。毎朝、ここに来てこの大きな石を切り出して、言われた通りに整えているんだよ。単調な作業であきあきすることもないわけじゃないが、家族を食べさせていけるだけで、満足なんだよ」
旅人は三人目の労働者にも尋ねました。
「あなたはどんな仕事をしているのですか」
三人目の労働者は天を指差し、目を輝かせながら言いました。
「私は神殿を建てているのです」
 このお話は口伝えで残っているヨーロッパの昔話の一つです。編者によって、多少の違いはありますが、題名は「旅人と労働者」です。一人目の労働者は不満ばかりで、後悔をしながら働いています。二人目の労働者は仕事をする必要性を挙げて、自分を納得させています。三人目の労働者はどうでしょう。目の前の仕事に大きな未来を見出しています。三人のうち誰が一番、与えられた仕事を楽しんでいるかは明らかですね。このお話を知ってから、「私は今何をしているのか」と、自問することがあります。そのままを答えては夢がありません。それが何につながるかを考えるのです。自分の出した答えが活力を与えてくれます。
 小さい頃は本が大好きで、家族に何度も読みきかせをせがんでいました。短いお話の中に人生の目的や意味を考えるヒントが散りばめられています。
 私がキリスト教に出会ったのは皆さんよりも遅く、大学1年生の時でした。カトリックの女子大で、不二聖心と同じようにキャンパス内に修道院があり、シスター方に聖書の御言葉を教えていただきました。キリスト教の授業で学んだことは神様の深い愛や目指すべき生き方の指針など強く生きていく勇気でした。その後、大学2年生の夏から1年間、フランスに留学しました。大学はカトリックで、寮も修道院に併設してあり、シスター方と暮らしていました。その留学中に大変お世話になったホストマザーがいます。ホームステイの後も週末に呼んでくださり、御ミサにも連れて行ってくれました。ホストマザーは生まれつきの持病と列車の事故で片足が義足です。足が痛む時や、体調が優れない時でも身なりを整え、颯爽と教会へ出かけて行きます。なぜ毎週日曜日の朝、御ミサに行くのか聞いてみたことがあります。
「それはね、私の神様に会いにいくのよ!それにいたずらを許してもらわなくちゃね」
その時の私にはよくわかりませんでしたが、不二聖心での日々の中でこれも神様への祈りなのだと思いました。
 不二聖心の日常には祈りの時間が沢山ありますね。聖心女子学院「18歳のプロファイル」《1.魂を育てる》の中に「祈る習慣が身についています」「沈黙の大切さを知っています」という項目があります。アンジェラスの鐘が響く朝のお祈りのひと時は、素晴らしい一日が始まる合図のようだと感じています。
これで宗教朝礼を終わります。
M.N.(フランス語・英語科)