シスター・先生から(宗教朝礼)

2020.01.08

2020年1月8日放送の宗教朝礼から

 これから宗教朝礼を始めます。

2020年が始まりました。今年は、不二聖心女子学院の前身である温情舎小学校が岩下壮一を初代校長として創設されてから100年、つまり創基100年の年となります。卒業生の会であるドゥシェーン会は「ルーツの旅」を今年の5月に企画しています。この「ルーツの旅」では、留学中の岩下壮一が日本の代表として献堂式に参列したパリのサクレクール寺院も訪れることになっています。
岩下壮一の人生を改めてたどりなおしてみてわかることは、留学の経験とそれまでに身につけた学識が、その後の岩下壮一の哲学研究や神学研究に対して大きな期待を抱かせたということです。実際に東京大学の哲学科に岩下壮一を教授として迎えようという話もありました。
しかし壮一は日本の思想界における指導者的な立場につくことはしませんでした。多くの人の予想に反して、留学から帰って5年後、御殿場にあるハンセン病の療養施設、神山復生病院の院長として赴任するのです。ハンセン病はライ菌による感染症で、当時は天刑病とも呼ばれて人々から恐れられ、患者は強制的に施設に隔離されて社会から排除されていきました。
特効薬ができる以前は、病により身体の動きが不自由になったり、顔や手足などが変形していったりする症例も多く見られました。なかには気管に結節ができて呼吸が困難になるような症例もありました。岩下壮一は、そのような患者の姿を見たり苦しみ喘ぐ声を聞いたりする中で、この現実を前にして無力である哲学を学ぶことに何の意味があるのかと疑問を抱き、持っていた哲学書をストーブの火の中に投げ入れてしまいたくなるような衝動にかられます。しかし実際には火の中に投げ入れることはしませんでした。しばらくして彼は、むしろこの苦しみの意味を問い、答えを出すためには哲学こそが必要なのだと思い直すのです。なぜ彼らはこれほどまでに苦しまなければならないのかという正解の容易に出ない問いに真摯に向き合うことを通して、机上の学問からだけでは至りつくことのできない境地にまで壮一は思索を深めていきました。
患者のことを何より大切に考え、一番したい神学や哲学の勉強をあと回しにしてまで患者のために尽くした岩下壮一は、患者たちから「おやじ」と呼ばれて慕われるようになっていきます。彼がダミアン神父の足跡をたずねてハワイに行ったときには病院を約40日間留守にしましたが、出発に際して患者たちは次のような言葉を残しています。
神父様、この間の公教要理の時、初めて神父様がハワイへご旅行なさることをうかがい、私どもは本当にビックリいたしました。二、三日のご旅行でさえ、お帰りのみ待たれますのに、四十何日のお留守!私どもはどうして辛抱できるかと思いました。(中略)お留守中はキットお言いつけをよく守り、よくお祈りして、おとなしくご無事にお帰りの日をお待ちいたします。どうぞ、ご安心あそばして、ご出立くださいませ。お別れの悲しみがあれば、またやがてお目にかかれる日がまいります。その日を楽しみに、明日から始まる四旬節中、私どもは小さい犠牲を花として幼きイエズス様にささげておよろこばせいたしましょう。(「恩愛の絆―ハワイの思い出」より)
少し大げさかと思われるほどの言葉を患者に言わせるほど神父様が慕われていたことが以上の引用からわかります。
岩下壮一が患者たちのためにした仕事の中で後に温情舎とも関わりを持つ事業があります。彼は、差別されることもあった患者の子供たちのために桃園の農園の中に一軒の家を建て、患者の子供たちを引き取って町の篤志家のおばさんに母親代わりとなって育ててもらい、そこから温情舎小学校に通わせていました。同級生たちは、彼らがハンセン病の患者の子供であることを知りつつも差別することなくともに学びともに遊ぶ生活を続けたと言われています。
岩下壮一を心から慕う人は多く、さまざまな人が回想記を残していますが、その中に岩下壮一が好きだった話について書き残した人がいます。それはヘルマンという一人の男の子の話です。ヘルマンは足が不自由で口をきくことができず、それが原因で周囲からいじめを受けます。しかしそれに屈することなく勉学を続け、やがては周囲から一目おかれるようになり、神父になる道を志します。その姿を見てヘルマンの母親は喜びましたが、息子の負う障害を不憫に思う気持ちに変わりはありませんでした。母親の気持ちを察したヘルマンは口がきけないので母親に次のように紙に書いて渡します。「私の眼はいつも天主様を見られますし黙ってお仕えできることは一番幸福です。」この言葉に母親はどれほど救われたことかと思います。この話を岩下神父様が好きだということからだけでも、神父様のひととなりについて多くを知ることができると感じます。
マタイによる福音書の25章に「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」という一節がありますが、岩下神父は「最も小さい者」のために生涯をささげた方でした。昨年来日を果たした教皇フランシスコは、正解のない現代のさまざまな問題に真摯に向き合うように私たちを励まし、それらの問題が弱い立場にある人を苦しめることにつながることにしっかり目を向け、弱い立場にある人々のために行動するように私たちを促しました。創基100年を迎えようとしている今、正解のない問いに向き合い「最も小さい者」のために生涯をささげた岩下神父に学ぶことは多いと改めて思います。
これで宗教朝礼を終わります。
H.М.(国語科・宗教科)