シスター・先生から(宗教朝礼)

2020.01.22

2020年1月22日放送の宗教朝礼から

   先日、夫と長泉にある叔母の家に向かっていた時の話をしたいと思います。自家用車で三島駅の北側の交差点を抜け、化学工場の前を通りました。その工場にはとても大きな木々がわさわさと生えていました。道路と工場を仕切るフェンス越しに鬱蒼(うっそう)と茂る森が見えるのです。その森の中は薄暗く、何だか「となりのトトロ」に出てくる森のようにも見えます。でも、木々の上には工場の煙突、隙間からは建物や銀色に輝く大きなタンクが見えたりして、やっぱりここは工場だったのだと気づかされます。新幹線の駅のすぐ近くに、それも工場にこんな森があるなんて、なんだか不思議な感じがしました。すると夫が「この森には鎮守の森って名前がついているんだよ」と教えてくれたのです。「え、鎮守の森って神社の横にある森なんじゃないの?」と言うと、この森がなぜ鎮守の森と呼ばれるのか、その理由を教えてくれました。

 夫がこの森の名前を知ったのは10年以上前のことです。当時夫が勤めていた会社の取引先であるタイヤメーカーから、工場に木を植えるのでぜひお越しくださいと招待を受けたそうです。日曜日だったので、「休みの日なのにめんどくさいなあ、だいたい工場に木を植えるのに取引先を呼ぶってどういうことなの?」と思いながらも、会社の同僚達と野良仕事のできる恰好で出かけていったそうです。梅雨の合間のとても良く晴れた、汗ばむような日差しが照りつける日でした。工場に着くと、ついこの間までトラックが止まっていたはずの駐車場に、こんもりと土の山ができているのを見つけました。こんなところに木を植えるの?と不審に思いながら、夫は工場の体育館に案内されました。そこで講演を聴くのだそうです。来賓の挨拶が終わると、麦わら帽子をかぶったおじいさんが紹介されました。妙に目力の強いそのおじいさんは宮脇昭という名前で、横浜にある大学の先生だそうです。お話はその先生の生い立ちから始まりました。そして、どうして植物の生態を研究する学者になったのか、なぜ木を植えるようになったのかが語られました。夫はこの先生の話にどんどん引き込まれていったそうです。

その大学教授は関東大震災での火災の話をしました。地震で起こった火事から逃れるために、広場に集まった人々を炎の竜巻が襲い、多くの命が失われたことは夫も知っていましたが、常緑の広葉樹に囲まれた公園に避難した人々は命拾いした、ということは知りませんでした。広葉樹に囲まれた寺や神社の多くは周囲が焼け野原になっても延焼をまぬがれ、今も残っているという話を聞いて夫は驚きました。東京の下町はすべて燃やし尽くされてしまったと思い込んでいたからです。「静岡にもいずれ大地震が来るだろうから、地震で死にたくなかったら木を植えなさい」と先生が話すと会場は笑いに包まれましたが、夫は「実にその通りだ。すぐに木を植えなければ」とすっかり洗脳されてしまったそうです。

 夫はその後宮脇昭先生の本を何冊か読み、三島駅の北側にも先生の指導で作られた森があることを知りました。それが鎮守の森です。1970年代に植えられたので、夫がその森の存在を知った時には植樹後すでに40年近く経っていました。「タイヤ工場で植えた、腰の高さにも届かないくらいの小さな苗木が、こんなに大きくなるんだなあ」と、化学工場の空高く生い茂る木々を見上げ、夫は感慨にふけったそうです。

 夫はこんな話もしてくれました。宮脇先生は、古いお社(やしろ)が残る神社はすべて常緑広葉樹の森に囲まれていると言うのです。その理由は、広葉樹は根が深く、葉が生い茂るため、夏の強い日差しや台風のような雨風から社殿を守ることができるからだというのです。街路樹のように木をまばらに植えてしまうと、強い風で簡単に木は倒れてしまう。だから道路や公園の木には支柱を立て、つっかえ棒がしてあるけれど、それでも台風の時にはそれらの木々が倒れ、電線を切り停電の原因になったりする。でも神社の木々は密集しているので、強い風が吹いても互いに支え合い倒れることはない。

そして広葉樹の森は火事にも強い。葉が水分を多く含むので火の粉を食い止め延焼しにくいのです。落葉樹では葉が落ちてしまうので、冬は火災予防の役に立たない。だからお社の周りの森は常緑でなければならない。スギやマツのような針葉樹は脂(ヤニ)が多いので火がつきやすく、乾燥する時期には強風で自然発火し山火事を起こすことすらあるので、燃えだしたら簡単に消すことができない。手入れをされたスギやマツの林は確かに美しいが、神社を守る木には向かない。だから、古い神社の周りには常緑広葉樹の森がある。森が雨風を受け流し、火災から建物を守っているのです。

 宮脇先生によると、「お社の鎮守の森の木を切ってはいけない、切ると罰(バチ)が当たる」と言い伝えられているのは、先人の知恵なのだそうです。お社に樹齢数百年を超える木があるということは、過去その期間、その場所が洪水や津波の被害にあわず、土砂崩れも起きなかったということです。つまりそこは、災害時における絶好の避難場所となるのです。神社の森はその周囲に住む人々の命を守るために、伐(き)ってはいけないと言い伝えられているのです。地震でも、台風でも、火事でも、何かあったらとにかく鎮守の森に逃げろ。親は子にそう教えることができました。もし自分たちの都合で森の木を切ってしまったら、その土地の災害の歴史が途切れることになり、子や孫たちは避難場所の目当てを一つ失ってしまうことになります。だから鎮守の森に手を付けたら罰が当たると言い伝え、森を守ろうとしたのです。

 しかし都市化の波で、鎮守の森の多くはすでに失われてしまったと宮脇先生は言います。確かに森に囲まれた神社は、都市部ではほとんど見かけることができません。だからこそ私は木を植えるのだと先生は言うのです。そして「木を植えなさい」と日本だけでなく、世界中で伝え続けています。木を植えるのは自分たちのためではなく、何世代も後の、それこそ千年後の子どもたちの命を守るためである。その先生の言葉に夫は強く心を動かされたのだそうです。

 木が人の命を守るなんて、私にとっては思いがけない話でした。助手席の私は不二の森を思い出さずにはいられませんでした。

M.S.(家庭科)