シスター・先生から(宗教朝礼)

2020.05.25

聖マグダレナ・ソフィア・バラの祝日によせて

チャプレン 牧山善彦神父様からのメッセージ

  私が今年の4月まで居た磯子教会には、樹齢100年を越える梅の木がありました。その梅の木が昨年9月の台風の際、根元付近から大きく割れてしまいました。もう木として限界かと思いつつ、割れ落ちた幹や枝を支柱に戻すと、今年の春には折れずにつながっていた枝から美しい花を咲かせてくれました。

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15.5)新型コロナウイルス感染症の影響で、わたしたちは今まで経験したことのない時を過ごしています。人との距離を空け、人との接触の機会を控えることが求められています。今までとは異なるあり方は、かえって今まで何が自分にとって大切だったのかを考える機会にもなります。形は様々に変わっても、わたしたちのいのちの営みにおいて、つながりを持ち続けることは欠かすことのできないものです。それは人同士のつながりのみならず、その奥にあってすべてにいのちを与え、その存在を支えている神ご自身とのつながりについても言えることです。

 「父がわたしを愛したように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15.9)わたしたちはまず、ひとりひとり神によって愛され、その存在を無条件で肯定されています。次にイエス様の示した神の愛は、与える愛、いわば「あなたのために」「あなたを大切にする」というあり方と言えるかもしれません。イエス様の愛にとどまろうとするなら、わたしたちは様々な危機にあり、形は変わっても、神と人々のつながりへの希望を失わないでしょう。今に至るまで多くの迫害や疫病、また無理解や困窮の中でキリストを信じ続けた人たちの姿も、そのことを証ししてくれます。特に聖心にあっては、創立者聖マグダレナ・ソフィア・バラや彼女の生き方を通してキリストと出会った人たちの姿に、神と人々のつながりの生きた証しを見ることでしょう。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15.12)神ご自身によって愛されているわたしたちが、互いが互いを生かしあい、大切にし合うために今なにができるのかを一緒に思い巡らしていければと願っています。つながりのなかで生きるなかには、時に辛く折れそうな時もあります。それでも折れることなく希望を新たにし続けることを通して、今の時がその先の未来の実りにつながるものとなりますように。