シスター・先生から(宗教朝礼)

2020.06.17

2020年6月17日の宗教朝礼から

 今週の金曜日は「みこころの祝日」です。編入生の方など、初めて聞く方もいるかもしれませんが、「みこころの祝日」は不二聖心の中で大切な学校行事の一つです。「み心」とはイエス様のみ心であり、全人類に対する神様の愛の象徴としてイエス様の心臓を表し、それは神様の人間に対する無限の愛のしるしとして中世に始まった信心です。カトリック教会では毎年、「キリストのご聖体」の祝日後の金曜日にお祝いされています。
 今年の「みこころの祝日」はコロナウイルスの影響で、不二聖心では例年と異なった形でお祝いがされると思いますが、例年、「みこころの祝日」では全校生徒参加のミサが行われ、その後、養護施設や公共施設などで奉仕作業を行っています。この「みこころの祝日」の奉仕作業の中では、「奉仕させていただく」という言葉がキーワードとして登場します。そして、この「奉仕させていただく」ということは、皆さんの3年あるいは6年間の不二聖心の学校生活の中でぜひ体得していただきたいものの一つです。
 では、「奉仕させていただく」とは一体どのようなことでしょうか。私にとって、それは「神様と人々を愛する喜びであり、そこから人々の間に愛や平和が始まること。そしてその喜びを一緒に分かち合えること」であると思います。私は普段、日曜日に沼津教会でミサにあずかっています。毎年不二聖心の皆さんが奉仕作業を行った後、教会の方々から次のようなコメントをいただきます。「生徒さんたちは本当に一生懸命、黙々と作業をしてくれました。私たちが普段手の回らないところまで丁寧にお掃除をしてくれて、本当に感謝しています。生徒さんたちの様子を見ていると『奉仕の姿』というのを改めて学んだ気がします。」と。
 実際に沼津教会で奉仕作業を行ってくださった生徒がどのように感じていたかはわかりません。しかし、私自身は何かを行う時に、疲れている時、気が乗らない時には、「このお仕事を、神様とこの仕事にかかわる人々のためにお捧げしよう。きっと神様や人々は喜んでくださるはずだ。」と考えるようにしています。すると自分のその仕事に対する姿勢が変わり、気持ちにも変化が起こってきます。「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(『テサロニケの信徒への手紙』5章16~18節)にあるような態度で日々生活することができたらと思います。そして、何よりも先に挙げた沼津教会でのお掃除は、高齢化の進む教会でお掃除の奉仕者が少なくなっている中、本当に助かっています。皆さんの奉仕作業が教会の助けとなっているのです。
 私たちは一人では生きていくことはできません。新約聖書のコリントの手紙の10章でパウロが言っているように、私たちは「一つの体」です。皆さんがそれぞれ一つの体を構成する大切な一部分です。どれもが必要なものであり、欠けることができません。そして、それぞれに役割があります。もし自分にかけている部分があっても心配しないでください。その部分を補ってくださる方がいるはずです。私たちはお互いに助け合って生きています。皆さんが与えられた機会や才能を使って人々のために奉仕する時に、愛と平和が始まっていくことでしょう。それこそが今年の学校目標の“Let Peace Begin With Me”ではないでしょうか。このコロナウイルスの状況下でも皆さんにできることはきっと見つかるはずです。まずは、周囲を見渡してご自分の周りの人々に対して平和を作り出していってほしいと願っています。
M.M.(英語科・宗教科)