シスター・先生から(宗教朝礼)

2021.01.14

2021年1月13日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。

これから宗教朝礼を始めます。
2021年、皆さんは冬休みをどのように過ごしましたか。今まででしたらクリスマスをお祝いしたり、親戚の方を訪問あるいはお迎えしたりと1年で最も華やかで楽しい季節のはずが、今年度は外出もままならず、静かに自宅で過ごした冬休みではなかったでしょうか。
2020年は今までの「当たり前」が簡単に崩された歴史に残る年となりました。このことは宗教朝礼で何人かの先生方がトピックとして取り上げていらっしゃいますが、私もこのことについて今日はお話をしたいと思います。
当たり前に学校に来る、当たり前に授業を教室で受ける、当たり前にお昼を友達と笑いながらいただく、その他多くの「当たり前」に制限がかかり、私たちはニューノーマル時代に舵を切らざるをえなくなったのです。今までの当たり前は簡単に崩される、この経験は私達の脳裏に焼き付きました。またSNS社会となった今、今まで以上な膨大な情報が後世に残されていくはずです。100年後、あるいは何百年もたってこのような事態が再度起こった時に2020年を振り返り未来の人々が今より有効にこのような事態に立ち向かうことを願うばかりです。
さて、この簡単に崩れた私たちの「当たり前」を思いめぐらしていた時、私は皆さんと同じ年齢の頃にアドバイスとしていただいた言葉をふと思い出しました。中学生だったころ、「感謝しましょう。」「感謝する心が大切です。」と教えられながら今一つ「感謝する」という言葉を具現化できなかった私に、ある方が「感謝するとは、当たり前を再認識することですよ。」と教えてくださいました。「当たり前が本当に当たり前なのだろうか。当たり前でなく、身近な事柄でどれだけ多くの方々があなたに心を、時間を割いてくださっているのか、ということに気づけば、感謝する心は自然と湧いてくるものですよ。」と教えてくださいました。そのアドバイスは中学生だった私に「感謝する。」という言葉の意味を具体的に示す、忘れられない教えの一つとなっています。皆さんはよくお祈りの中で度々「恵まれた環境で学ぶことができることに感謝して。。。」と表現しますが、本当にそう思っていますか。何かのきっかけでこれは当たり前ではなくなってしまうということに今一度、気付いてください。
聖書、テサロニケ人への第1の手紙5章16節に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」とあります。これから宗教朝礼の振り返りをノートなどに記入する時間になると思います。その時間、今まで、特に気付いていなかったあなたを支える様々な人々、電車、バスの運転手さんや、学校のお手洗いをお掃除してくださっている方々、あるいは小さな出来事に感謝をつづってみてください。
今日1日がきっと神様のお恵みに満ちた優しい、柔らかな時間になると願っています。
これで宗教朝礼を終わります。
Y. S.(英語科)