シスター・先生から(宗教朝礼)

2021.11.18

2021年11月18日放送の宗教朝礼から

おはようございます。宗教朝礼をはじめます。
 今年7月、保護者講演会で、東京工業大学の教授で批評家の若松英輔先生から「創基101年の今、岩下壮一について考える」というテーマでお話を伺いました。若松先生のお話の中で「弱さを大切にする」というお言葉が特に心に残っています。今日は、人間の弱さについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
 岩下壮一は、不二聖心女子学院の前身である温情舎の初代校長で、カトリックの司祭でもありました。さらに岩下神父は、御殿場にある神山復生病院の院長を10年間勤めました。神山復生病院はハンセン病患者の治療や療養のための病院です。治療薬がなかった時代、ハンセン病は恐ろしい伝染病とされており、体の一部が変形するなど外観の特徴から偏見や差別の対象になっていき、患者は強制的に隔離され、一生療養所から出ることを許されませんでした。治療薬が開発された後も、隔離政策はしばらく継続。政策に終止符が打たれたのは、1996年、隔離政策が始まってから約90年後、つい最近のことです。岩下神父は、お医者様ではありません。でも、神山復生病院の院長として、苦しんでいる人、つまり、当時、社会的に最も弱い立場であったハンセン病患者に寄り添い続けたのです。岩下神父は患者として病院に来る人に「これからは同じ家族になります」と伝えたという記述が残っています。社会全体がハンセン病患者を受け入れない中で、身体的にも精神的にも苦しんでいる患者のそばに寄り添い、そして、その弱さを知ったからこそ、家族同然として迎え入れるということができたのでしょう。
 何年か前、高校生と共に元ハンセン病患者の方々が療養されている国立駿河療養所に奉仕活動に行きました。残念ながら、隔離政策が終わったあとも、元患者の方やその家族への偏見には根強いものがあり、療養所を出ないという選択をする方も多く、今もなお療養所で暮らしている方も少なくはありません。奉仕活動では、入所されているハンセン病の元患者である方が広い敷地を案内しながら、当時の過酷な様子を話してくださいました。敷地には、納骨堂もあります。納骨堂には多くの遺骨が納められていました。家族からも差別を受け、家族が遺骨を引き取とらないという選択もあったそうです。つまり、亡くなった後もハンセン病患者だった方を家族として受け入れなかったということです。そんな方々がここで眠っていると教えてくださったとき、胸が張り裂けそうでした。当時のハンセン病患者の過酷さや弱さを知ったからでしょうか。一緒に奉仕に行った生徒の顔つきも次第に変わり、その後の療養所のお掃除も、普段よりずっと丁寧で、黙々としている姿が強く印象に残っています。これが本当の寄り添うということなのかもしれません。
他者の弱さを知ること、その方のために祈ることは、聖心の教育を受けている皆さんは、当たり前のことかもしれません。一方で、自分自身の弱いと思う部分には目をそむけたくなる人も多いのではないでしょうか。しかし、その弱さに向き合い、弱さを受け入れ、弱さから学ぶことによって、強さに変えられることを忘れないでください。弱さを知っているからこそ、相手とともに悩み、寄り添うことができるのです。
聖書にこのような箇所があります。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(『新約聖書』(新共同訳)コリントの信徒への手紙二 12.9 )
 コロナ禍でより格差が広がり、弱さが浮き出てきていると感じています。ワクチン接種率を見ても、先進国と途上国とでは明らかな差がありますし、世界の飢餓が2020年に劇的に悪化したことも発表されました。今までも厳しい立場にいた人々が、より厳しい生活を強いられているのが現状です。もっとも弱い立場の人に寄り添い、存在を忘れないこと。決して上からの姿勢でなく、心を寄せて共に悩み、共にいること。これらのことができると思いやりの溢れる温かい社会になっていくと思いませんか?難しそうに聞こえるかもしれませんが、みなさんは、この心を寄せて共に悩み、共にいることということを、節約弁当を通して実践していますね。ただ100円を集めて寄付するだけでなく、空腹を味わうことにより、満足にご飯が食べられない貧しい国の方々の気持ちに寄り添うことにつながっていると思います。
 このように、弱い部分に目を向けられる、弱い立場に寄り添えるなど、弱さを大切にできる子どもたちを育てていきたいと思いますし、そんな社会になってほしいと心から願っています。
Y.O.(保健体育科)