シスター・先生から(宗教朝礼)

2022.02.23

2022年2月23日放送の宗教朝礼から

おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

来週の水曜日、3月2日はカトリック教会のカレンダーでは「灰の水曜日」です。毎年、HRで信者の方向けに灰の式が行われるというアナウンスを聞いていると思いますが、その詳細をご存じの方は少ないと思います。「灰の式」では、昨年の「枝の主日」、つまり復活の主日の前の週の日曜日に祝福していただいた、棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝を燃やした灰を一人ひとりの額にかけます。司祭は聖水をかけて灰を祝福し、「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです。」または「回心して福音を信じなさい。」と唱えながら、灰で信者の額に十字の印をします。この灰の水曜日は、キリスト教の典礼の頂点である復活祭に向けての準備期間である四旬節のはじまりである大切な日です。

皆さんは「世界でもっとも有名なパーティー」と言われるリオのカーニバルを聞いたことがありますか?最近は新型コロナの影響で延期や中止となっていますが、毎年ブラジルでは豪華な衣装と音楽に合わせ、約6万人のダンサーが踊り、それを150万人の人々が観ると言われています。実はこのリオのカーニバル、期間は1週間ほどあるようですが、キリスト教の四旬節が始まる灰の水曜日の前に終わるようになっていて、四旬節とも少し関わりがあるようです。「カーニバル」とはラテン語のcarnem(肉を) levare(取り除く)に由来しているそうです。何故、肉を取り除くのかというと、イースター(復活祭)の前、主日つまり日曜日を除く40日の四旬節は、静かに過ごし、断食や、肉を食べないことで心身を浄化することが勧められている期間です。その前に催されるのがカーニバル(謝肉祭)です。カーニバル後には、断食、肉を断つ期間になりますので、その前に思い切りストレス発散をして楽しもうという文化です。

毎年、不二聖心でもこの「灰の水曜日」は原則、節約弁当の日となっています。もちろん、この日の節約弁当には特別な意味があります。日本はキリスト教国ではないので、カトリック教会では「大斎・小斎」という食事の量を減らしたり、肉類を食べないことが勧められています。普段は十分な食事をとることが出来ない人々のことを思い行う節約弁当ですが、灰の水曜日には心を静めて自分を見つめ直し、神様に心を向けるようにします。

さて、四旬節は主日、つまり日曜日を除く40日間ありますが、この40日というのは、イエス様が宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことから来ています。その間、カトリック教会では、主イエスの受難と死を思い起こし、救いの「時」の中心に向かって、回心と償いの期間として過ごします。私たちの心が本当にどこに向かっているのかを問いかけ、自己中心から神と人々に向かう「心の転換」(回心)を呼びかけています。

この期間に、キリスト教国の信者の中にはイエス様が断食されたように、何かをあきらめる習慣があります。それは、皆さんがクリスマスの待降節の間に行う「プラクティス」に似ているものと思ってください。私の友人の中には「チョコレートをやめる。」「お酒を飲まない。」などを行う人もいますが、私自身は毎年四旬節の間、イエス様の受難と死を思い起こすために、聖書の福音書の一つを通して読むようにしています。今イエス様が私たちに伝えたいメッセージは何であるか。イエス様を、神様を悲しませているようなことがないか、そして何よりも神様がいかに私たちを愛してくださっているか、それらを再確認するために福音書を通して読みます。復活祭は3月の終わりから4月の中旬にやってきます。それは冬の終わりをつげ、春の訪れを意味し、新たな希望の季節です。四旬節の先にある復活祭を喜びと希望をもって迎えることができるように、聖書を祈りとともに読みます。

現在は一年を振り返るのに最も適した時期です。次の質問を自分に問いかけてみてください。

*この一年で神様を悲しませることをしませんでしたか?周囲の人々を言葉や行いで傷つけたり、相手のことをよく聞かずに他人を裁いたり、悪口を言ったりしたことはありませんでしたか?

*自分でも悪いと思っていながら、なかなかやめられない習慣や行動はありませんか?

もしこの二つに思い当たる点がありましたら、それを皆さんの四旬節の目標にしてください。

また、以下の質問はどうですか?

*他の人からの言葉や行いで励まされたり、感動したことはありませんでしたか?

*自分は幸せだな、愛されているなと思った出来事はありましたか?

もし、これらの質問に当てはまることがありましたら、それをぜひこの四旬節の間に他の人に積極的に行ってください。

今年の復活祭は4月17日(日)です。復活祭の時には、今のご自分とは何かが違う、より愛にあふれた皆さんになっているように願っています。

これで宗教朝礼を終わります。

M。M.(英語科・宗教科)