シスター・先生から(宗教朝礼)

2023.09.27

9月27日放送の宗教朝礼から

 

おはようございます。これから宗教朝礼をはじめます。
昨年度のことになりますが、昨年の12月、クリスマス・キャロルがコロナ禍以来久しぶりに開催され、別会場ではありましたが、全校生徒が集い、イエス様のご生誕を歌でお祝いすることができました。今年度は4年ぶりに学院の講堂で開催されると先日キャロル委員さんからの発表があり、とても嬉しく思います。

昨年、キャロルの歌をうたっている生徒の皆さんを見て、私は「ああ、この方々は希望の光だ」と思いました。私たち教員は、長いコロナ禍によって学院が大切にしてきたもの、守ってきたものが薄れていってしまうのではないかということをとても心配していました。しかし、キャロルで歌う生徒の皆さんの姿は、コロナ禍を越えて、今までの伝統と、新たに変化・進化していくものを融合した新しい学院の始まりを見せてくださいました。

突然のコロナ禍によって、世の中は大きく変わりました。学校もそれは同じで、手洗い・うがい・マスク着用はもちろん、他の人との接触を避ける、授業中の発表も声を出すことも抑えて、友人との会話も距離を保ち、食事は一方向を向いてしゃべらず、などなど、たくさんの制約を皆さんも経験しました。そういった中で、寄宿もあり、多くの生徒が電車やバスを使って通学、遠方からの通学者も多いこの学校で、一度のクラスターも爆発的な感染もなく過ごせたのは、生徒の皆さんの努力と心遣い以外の何物でもないと思っています。本当に、長い間、不自由で抑圧された生活をよく堪え忍んでくれたと感謝しています。

皆さんが、なぜこのように立派にコロナ禍を堪え忍ぶことができたのか、それはやはりキリスト教の、神様の学校で学んでいるからだと私は思います。中2以上のみなさんはご存じでしょうが、不二聖心ではプラクティス、クリスマスに先立つ3週間ほどを、イエス様のご生誕を静かにお待ちする時間として過ごします。この「静かに待つ」という時間をミッションスクールではとても大切にしているのだと私もこの学校に来て知りました。「昔、ユダヤの人々は、神様からのお約束、尊い方のお生まれを、嬉しく待っておりました」。キリスト教の幼稚園や小学校で、聖劇の際に歌われている歌です。皆さんの中にも歌ったことがある方がいるのではないでしょうか。私も自分が幼稚園生の時に歌ったのを覚えていたところ、自分の子供たちもクリスマスの際に歌っているのを聴いて、ずっと歌われ続けているんだなぁと感動しました。さて、ではこの歌にもあるように、救い主イエス様の誕生が預言されてから実際ユダヤの人々がその日を迎えるまでどれくらい待ったか、それは600年とも700年とも言われています。600年、700年、それは気の遠くなるような時間ですが、それだけの長い時間、ユダヤの人々は、「待つ」ということの先に必ず希望があると信じて辛い日々を耐え抜いたのです。だから、私たちの根底には、この「静かに待つ」「待っている時間に自分たちのできることをさがして誠実に努める」「待った先の希望を信じる」という感覚が養われているのだと思います。

聖心の生徒が身につけているものとしてもう一つ、「内省」というものがあります。「内に省みる」と書いて「内省」で、自分自身を振り返るという意味です。不二聖心にはさまざまな場面でこの「内省」を行う時間があります。皆さんも、先日の祈りの会でふりかえりの時間を持ちましたよね。お話を聞いて、それを沈黙のうちにじっくり考えて自分の中に深く落とし込む。このふりかえりの時間が内省であって、これが聖心の子供たちの心を作っていくと感じます。祈りの会でないところでも、考えたり書いたり、ふりかえりの時間は多くありますね。このふりかえりの時間を繰り返すことによって、聖心の子供たちは理由や責任を他に求めるのではなく、自分の中に求めていくという姿勢を身につけるのだと思います。コロナ禍の際は、どうしてこのような社会・世界になってしまったのかと嘆き、声高に不満をぶちまける人、その対応や補償を他に求める声も多くありました。しかし、不二聖心の中では大きな批判や文句、生徒たちの不満爆発などはありませんでした。もちろん、それぞれに不安や不満はあったはずです。けれどそれが大きな形や波として表れなかったのは、それを外にぶつけるのではなく、自分たちが今できること、すべきことは何かを考えて行動できる姿勢が身についている人が多かったからだと思います。それは、昨年の卒業生の方々の言葉にもよく表れていました。高校3年生として、自分たちが高3になったときにはこうしたいということや、入学してからずっと思い描いていた上級生としての姿や行事への関わり、学校生活があったはずです。たぶん、その多くがそのままの形では叶えられませんでした。けれど多くの方々が、「いろいろ制限されていた中でも自分たちらしくやりきりました。」「これが私たちの立派な青春でした。」と言って笑顔で卒業していきました。本当に聖心の子らしいな、と私も笑顔になりました。

「静かに待つ」ことと「内省」……。現代は早く効率よく成果を出すことを求められる世の中で、少しでも楽に簡単に答えや実績を挙げることがよしとされているような気がします。また、何かあったとき、自分の非を認めたり改善の余地を探したりするよりも先に、相手や制度のせいにしてしまうということもよく見られるような気がします。しかし、私たちはそうではありません。自分のできることをじっくり考えながら、ゆっくり成長していくことを静かに待つ時間があります。私たちの学校は、そういう場所です。「今日もまた よき日たまひし 主をほめん」校歌の3番にあるとおり、ゆっくり1日をふりかえり、今日の1日が自分の成長の時間として豊かなものであったことを神さまに感謝しましょう。そして、その先に大きな希望があることを信じてください。

まだまだ油断は許されない状況ではありますが、このコロナ禍を一緒に耐え抜いた卒業生の皆さん、在校生のみなさん、先生方や保護者の皆様、そして世界のたくさんの人たちに、希望がありますよう、心からお祈りしています。

これで、宗教朝礼を終わります。
M.S.(国語科)